https://youtube.com/watch?v=djA_CP5DYJQ&feature=shared


 「OH MY LITTLE GIRL」との両A面として初めてシングルカットされ、尾崎豊さんの10回忌である2001年4月25日にソニー・ミュージックレコーズより12センチCDで発売されました。元々は3枚目のアルバム『壊れた扉から』(1985年)の収録曲であり、アルバムリリースから16年後に改めてリカットされる事となった。

 3枚目のアルバム『壊れた扉から』(1985年)の制作に当たって尾崎さんとプロデューサーの須藤晃さんのプライベートでの合意事項として、尾崎さんにとって10代最後の日となる1985年11月28日にリリースする事が決定していました。10代の内に3枚目のアルバムをリリースする事に関して当初尾崎さんは反発しており、須藤さんにリリースの意義を問いただす事が何度もありましたが、須藤さんによる「あとになっておまえにとっては、意味を持つだろう」と諭された事から条件を飲む事となりました。また尾崎さんは条件を飲んだ理由として、「スタッフの裏側の気持ちが、痛いほどボクに伝わってきたからって気がしてる」と述べています。 その後アルバムリリースから先行する形で決定したコンサートツアー「LAST TEENAGE APPEARANCE」のリハーサル作業の合間を縫うようにしてレコーディングが進められていました。レコーディングが終了した曲のミックスダウンが着々と完了していく中、マスターテープの完成日直前になりながらもアルバムに収録する最後のバラードが決まらず、尾崎さんは悩んだあげくにデビュー以来初めて歌詞のないメロディだけを吹き込んだデモテープを須藤の元へ持参しました。結局最後に残った1曲となった本作でしたが、尾崎さんの歌詞制作が頓挫しているためスタッフは全員泊まり込み状態となり、着替えを用意して何日もかかりっきりの状態となりました。

 

歌詞制作が難航していた尾崎さんに対し、須藤さんは本作のデモテープを聴いた印象として「小さな花」のイメージがあると伝え、またジョン・レノンの楽曲「マインド・ゲームス」(1973年)の詩の一片である「君がはぐくむべき花は愛なんだ」という歌詞を引用した上で尾崎さんに対し「名前もわからないようなその花ってなんだろうね」と疑問を投げかけました。その後須藤さんと尾崎さんは自身の愛好する花について語り合っていましたが、その際に須藤は「そういえば尾崎、"Forget-me-not"という花があるんだよ」と尾崎さんに語り、日本名が勿忘草である事を告げられた尾崎さんはそこからインスピレーションを得てスタジオの床に寝そべって歌詞を書き始めました。完成した歌詞のタイトルには「わすれな草」と書かれていましたが、歌入れの前に須藤さんがタイトルを「Forget-me-not」に変更するよう尾崎さんに依頼、尾崎さんは「そうですね、『わすれな草』は演歌みたいだし」と笑っていたといいます


 尾崎豊さんのバラードには「I LOVE YOU」や「OH MY LITTLE GIRL」などがありますが、須藤さんは本作について「作品が含有している哀しみの度合いはこの曲がもっとも深い」と述べ、尾崎さんの曲でここまで過去を振り返った曲はないと断言した上で「彼が失ってしまったものは、よほど大きかったんだろう」と述べています。結果として、プロデューサーとして須藤さんが関与した最後の曲が本作となっており、その後尾崎さんは本作を最後に作詞が出来ずに数年間作品を発表できなくなったそうです。須藤さんは1枚目のアルバム『十七歳の地図』(1983年)の収録曲である「街の風景」から尾崎さんの音楽活動は始まり、本作で10代としての作品が完了した事に触れ、「はいつくばりながら街を見渡していって、最後に、街の風景の中に本当に眼をこらして見なきゃわからないような、小さな花のことを歌って終えたのは、ひとつの非常に美しい物語の終末だったという気がする」と述べています。その他にも須藤さんは本作にはリズムのノリがおかしい所が多くあると指摘したがそれが問題ないほどすごい曲であると述べ、また尾崎さんがスーツにネクタイの姿で歌った曲は本作だけであった事から「なんだか、この曲を歌うために尾崎さんは存在した、っていう気さえしますね」と述べた他、「Forget-me-not」というタイトルが「僕を忘れないで」という意味であるとした上で「自分にとっては実はとても重たい曲で、デリケートな曲でもあるんです」と述べています。


 個人的には「I LOVE YOU」「OH MY LITTLE GIRL」よりも好きな曲です。他のバラード以上に感情を押し出して歌っているように聴こえますね。


 2024年4月25日は、尾崎豊さんの32回目の命日ですね。尾崎豊さんが世に出て亡くなるまで、僕は小学2年〜高校2年までに当たります。人生の時間軸の感覚からか、その期間はとてつもなく長く感じていましたが、わずか10年ほどなんですよね。
 あまり、神格化されてはいけない人生かもしれないけれど(彼ひとりの責任ではなく、使ったり持ったりしてはいけないものを持ったり、使用したりできる環境にしてしまったまわりの人間の責任もあるんじゃないかな?)、良い曲はいっぱいありました。17歳の地図を歌っていた人が自分が17歳の時に26歳の若さで亡くなってしまいました。多感な時期だったこともあり衝撃的でした。



 

 


 

 






NO MUSIC&SONG, NO LIFE - にほんブログ村