https://youtube.com/watch?v=wHj4UUWkFWs&feature=shared


 1985年10月5日発売。7枚目のシングル。オリコン週間5位。

 作詞・作曲: かしぶち哲さん、編曲: 松任谷正隆 さん 

 江崎グリコ「セシルチョコレート」CMソング。

この曲は鮮明に覚えてました。このあたりからしっかり歌番組観始めたので。

 

 没してなお忘れられず慕われ続けている理由について、岡田有希子さんと同じ1967年生まれの南野陽子さんは「誰かと結婚したわけでもない。劣化したと思われることもない。絶対に裏切らない、永遠の18歳だからでは」と述べました。岡田有希子さんへ楽曲を提供した竹内まりやさんは「シングルの売れ行きだけなら上回った人は何人もいる。しかし、爽やかに登場し『さぁこれから』という時にたった3年で姿を消した歌手というのは空前絶後。ファンに夢を運び、純粋にアイドルを応援する喜びもファンに与えたが、同時にアイドルがアイドルでいることの難しさや孤独を投げかけた。いなくなってさらに存在が大きくなった希有な存在」、音楽評論家の高橋修さんは「時はあたかも素人っぽさが売りのおニャン子クラブが人気絶頂。岡田有希子(の死)と共に、プロのアイドル歌手の時代も終わってしまった」と評しました。中森明菜さんは夕刊フジで担当していた連載エッセイ『ふかしぎ歌姫』第21回(1995年2月10日付)で「自分に何かしてあげられることはなかったのか、今でも悔やまれる」と記しました。小泉今日子さんもエッセイ『原宿百景』中で、名こそ出さなかったのですが言及しています。岡田有希子さんと同じ1984年に歌手デビューの荻野目洋子さんは、2022年現在も墓参りを続けています。 「永遠のアイドル」と慕うファンからの墓所への献花が絶えることはなく、祥月命日には墓前や現場にファンが集まり在りし日を偲んでいます。


 あれから38年。時代が今とは違い、報道の仕方も過激だったなと思います。彼女が亡くなった年はおニャン子クラブが世間を席巻しており、アイドルの在り方みたいなものが変わった時代でした。そういう意味では、最後の手の届かない所にいる妖精のようなアイドルだったのかもしれません。歌唱力もありましたし、これからだった。続きが観たかったけど…。


 悲恋だったのか、仕事がハードすぎたのか、真実は本人にしか分かりませんが、どうにかして、まわりの大人たちが防げなかったのかな。ご存命なら56歳。10代の頃は若かったねって笑い飛ばせたかもしれないと考えると、悲しいですね。




 

 





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