1984年9月10日発売。3枚目のシングル。

 作詞は売野雅勇さん、作曲は大沢誉志幸さん、編曲は大村雅朗さんが担当しています。前作「サヨナラは八月のララバイ」(1984年)よりおよそ3か月ぶりのシングルであり2枚目のアルバム『LA VIE EN ROSE』(1984年)からの先行シングルとなりました。 作曲者である大沢さんのデモテープの段階では歌謡曲のようなギターサウンドであったものを、吉川さんの意向によりキーボード主体のテクノポップ調の楽曲に変更されました。オリコンシングルチャートでは最高位第4位となりました。後に大澤誉志幸さん自身によってセルフカバーされています。

 作曲を担当した大沢誉志幸さんは、本楽曲のデモテープをリリースの3年前に制作しており、「自分には合わないから」という理由で吉川晃司さんに提供しました。本作を完成させた時、極めて洋楽的で日本語が非常に乗り難いメロディーラインであったため、「日本語詞を乗せるのは無理だろう」と思いながらも作詞家の売野雅勇さんに依頼したところ、売野さんが見事に日本語で歌詞を完成させたために作曲した大沢さんはその仕上がりを喜んでいたといいます。 大沢さんが制作したデモテープの段階ではアレンジが歌謡曲のようなギターサウンドでしたが、吉川さんの意向でキーボード主体のアレンジとなりました。吉川さんは当時テクノポップに惹かれていたためドラムスおよびベースは打ち込みで制作されました。吉川さんは元々ギター小僧でしたが、デビュー以降はテクノポップのクールな感覚とギターのワイルドさにソウルフルな歌のそれぞれがバランスよく混在した楽曲を目指して制作を行っており、本作によって自身の指向性を打ち出すことが出来たとも述べています。吉川さんは音楽性のバランスとして当時最も気に入っていたのはユーリズミックスであると述べています。吉川さんは後に「すごく好きな曲ですね」と述べた他、大沢さんが本作について「失敗したって言ってましたね。自分で歌えばよかった。お前なんかにやるんじゃなかった」と述べていたことを冗談交じりに話しています。


 後にFNS歌謡祭かな?ふたりで共演して歌ってますが、それぞれ味があって良いですね。『ラ・ヴィアンローズ』いいタイトルですね。


 






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