https://youtube.com/watch?v=vrGaiXbtyz8&feature=shared


 1972年6月5日発売。20枚目のシングル。オリコン週間3位。

 この曲はまず都倉俊一さんによる曲の方が先に完成し、このメロディーに合わせながら作詞した阿久悠さんは、最初この曲に『恋のカーニバル』というタイトルを付けましたが、『どうにもとまらない』に改められました。後に阿久さんは「タイトルが『恋のカーニバル』だったら、この曲の運命は全く違っていただろう」と述懐しています(阿久さん自身の著書『歌謡曲の時代 歌もよう人もよう』(新潮社、2004年)の中でも述べています)。 1966年のデビュー曲『こまっちゃうナ』以来ヒットに恵まれず低迷していた山本リンダさんは、この曲を初めて聴いた時「すごくかっこいい、これでダメなら歌手はもうダメ」と感じたそうです。 この曲でリンダさんは、それまでの路線を一新し、切れ目の入ったパンタロンや赤いブラウスによるヘソだしルック、過激な振り付けなどを披露して、アクション歌謡の先駆けとされています。話題になった衣装の「ヘソだし」は、「リオのビーチでかっこ良く歌うイメージだから」ということで山本リンダさん自身が提案したもの。 オリコン集計では、累計で30万枚を突破した山本リンダさん最大のヒット作(レコード売り上げは40万枚を売り上げました)。 山本リンダさんはこの曲で1972年の第14回日本レコード大賞作曲賞、日本歌謡大賞放送音楽賞を受賞し、1972年の『第23回NHK紅白歌合戦』に出場しました(これは、『こまっちゃうナ』で1967年の第18回に出場して以来)。また1991年の第42回NHK紅白歌合戦では、同じく山本リンダさんのヒット曲である『狙いうち』と共に披露しました。

 山本リンダさんは、NHKへの出演で「どうにもとまらない」を初めて歌った時、NHKからヘソを隠すように要請され、仕方なく腹まで隠れるパンタロンを着用して歌ったといいます。しかし、感じが出ないと思ったリンダさんは、2回目に出演した時に、腹部の結び目が大きいブラウスを着用し、リハーサルでは軽く踊り、結び目でヘソが隠れるから、とNHKを説得して本番の生放送に臨みました。そして、本番ではいつも通り激しく踊ったので結び目が揺れてヘソがはっきりカメラに映りました。これで『紅白歌合戦』に出場したときはもう何も言われず、堂々とヘソだしで歌ったといいます。

 この曲のヒットによる影響で、新聞の見出しなどでそのフレーズが流行しました。例えば、当時の田中角栄内閣総理大臣の日本列島改造論により、1971年のドルショックから一転して、地方の地価や株価の高騰が「どうにもとまらない」と書き立てられたほどでした。


 1980年代後半に米米CLUBが山本リンダさんの楽曲をカバーしてライブで演奏したほか、1990年(平成2年)にはテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の番組内で主人公・まる子がリンダさんのモノマネをしたことなどから、リンダさんはリバイバルブームに乗り再ブレイク。1995年8月6日放送の「まる子フェスタしずおかへ行く」の回では、本人役でリンダさんがアフレコを務めました。 また、自身の曲をハウス調にセルフカバーしたアルバムや、REMIXアルバムが続々オリコンチャートにランクイン。翌1991年(平成3年)の第42回NHK紅白歌合戦にも久々に登場しました(『紅白歌合戦』には通算5回目の出場)。この第3次ブームの時は鮮明に覚えてます。この頃はリンダさん、歌い方が柔らかくなりすぎてあまり好きではなかったのですが、原曲の70年代の映像が頻繁に流され、当時の鋭い歯うたい方とファッションがレトロなのに、斬新で鋭く感じたので、原曲のベストアルバムを購入したの覚えてます。


 今、シティ・ポップや80年代を若い人が聴くのに近い感覚かな。


 


 

 


 

 



 



NO MUSIC&SONG, NO LIFE - にほんブログ村