https://youtube.com/watch?v=MqiN4XJfF94&feature=share
自身のデビューシングルとして、7インチレコードで1978年6月25日に発売。オリコン週間3位。ザ・ベストテン週間4位。
本作のタイトルは、当時ヒットしていた沢田研二さんの「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」を「2つくっつけただけ」のものであると言われてきましたが、TBS系バラエティ番組『8時だョ!全員集合』の「少年少女合唱団」コーナーにあった、1977年から78年ごろの志村けんさんのネタの1つ『勝手にシンドバッド』から拝借したと後に語られました。桑田佳祐さんはこれについて「パクリのパクリでございます」「志村けんさんがいなければ我々も表舞台に出てきていないと思います」と述べています。
桑田さんは『mimi』1978年12月号のアン・ルイスさんとの対談で、アンに「『勝手にシンドバッド』って曲、お祭りっぽくって好きなの(笑い)」と褒められたため、つい「スティーヴィー・ワンダーの『Another Star』に似てるでしょう」と言ってしまい、「どこからああいう不思議な曲が生まれてくるのかねえ…」と言われ、「16ビートに日本語乗っけてる曲ってあんまりないから、変わって聞こえるんじゃないかなあ」と答えました。
発売当初はミュージック・ビデオが存在していなかったのですが、2003年の再発時には、プロモーション用に過去のライブ映像を組み合わせたMVが制作されました。2008年の30周年時には、同じく過去のライブ映像を組み合わせた別パターンのMVが制作されたが、こちらには脱退した大森隆志さんが出演しない編集が施されています。
2003年に発売した再発盤はオリコン週間ランキングで1位を記録しました。オリジナル盤の最高位3位を更新し、オリジナルシングル発売から25年を経てオリコンチャート1位を記録するという前人未到の快挙を成し遂げ、再発盤は29.1万枚(オリコン調べ)を売り上げた。オリジナル盤と再発盤を合わせて、累計80.6万を記録しています。
オリコンのシングルTOP10獲得週間数では、本作が13週獲得しており、自身の中では「いとしのエリー」「TSUNAMI」に次いで3番目の長さ。
桑田さんの著書『ブルー・ノート・スケール』ではこの曲と「いとしのエリー」を1985年のライブ『KAMAKURA TO SENEGAL サザンオールスターズ AVEC トゥレ・クンダ』をもって封印していることを述べていましたが、1988年にサザンが活動再開して以降もどちらの曲も多くのライブで歌われています。また、『1998 スーパーライブ in 渚園』のDVDインタビューでも封印する趣旨を述べていましたが、翌年春のツアーライブ『Se O no Luja na Quites 〜素敵な春の逢瀬〜』以後はどちらの曲も再び今まで通りに演奏されました。 2018年の大晦日に放送されたNHKの音楽番組『第69回NHK紅白歌合戦』では特別枠で大トリとして出場し、「希望の轍」と共に本曲を披露して平成最後となる紅白を締め括りました。曲中では出場者がステージ上に集まり、松任谷由実さんが桑田さんにキス、桑田が北島三郎さんに「今何時?」と聞いたり、ステージでひっくり返ったりする一幕も見られました。近年、歌番組で国民が最も盛り上がった名場面のひとつですね。
ジョン・レノンは滞在していた軽井沢の喫茶店の有線から流れてきた本楽曲を聴き入り、コーラスの『ラーララーララララーラーラー』の部分をハミングし、「ハッピー」という感想を述べたといい、これを後から人づてに聞いた桑田さんは大喜びしたとされます。 TBS系バラエティ番組『水曜日のダウンタウン』で企画として「曲タイトルをサビに使うアーティスト歌ランキング」を発表し、曲中にタイトルがまったく出てこない曲として、この歌が紹介されました。
1978年8月31日放送の音楽番組『ザ・ベストテン』に出演。 原由子さん以外のメンバーはジョギング用の短パン姿、桑田さんに関しては上半身裸。 黒柳徹子さんの「アーティストになりたいのか」という質問に 「いいえ 目立ちたがり屋の芸人で~す!!」と応えました。これ、インパクトありましたね。これがあったから、『いとしのエリー』にも『TSUNAMI』にも繋がるのですね。
デビュー45周年おめでとうございます。