https://youtu.be/UgAiEybB9f8


 『BEAT EMOTION』は、BOØWYの5枚目のオリジナル・アルバム。

 1986年11月8日に東芝EMIのイーストワールドレーベルからリリースされました。前作『JUST A HERO』(1986年)よりおよそ8か月振りにリリースされた作品であり、作詞はBOØWYメンバー全員が担当し、作曲は氷室京介さんおよび布袋寅泰さん、プロデュースは布袋および糟谷銑司さんが担当しています。 レコーディングは日本国内にて18日間で完了し、トラックダウンなどの作業も全て日本国内で行われました。サウンド面では「音源を残す」事に意識的であった前作から一変し、「ライブハウス時代を思い出そう」とのコンセプトで制作され、BOØWYのアルバムで唯一メンバー全員が作詞を手掛けている事を特徴としています。 オリコンチャートにおいてバンド初のベスト10入りを果たした先行シングル「B・BLUE」が収録されている他、後にリカットとして「ONLY YOU」がリリースされオリコンチャートにて最高位4位を獲得しました。また本作はオリコンチャートにて初登場1位を獲得し、売り上げ枚数は累計で約120万枚を記録しました。

 前作においてサウンド面で納得のいく「BOØWYの完成形」と呼べるアルバムを作ることが出来たメンバーが、今度は自分達の手法で商業面での成功である「チャート1位を狙う」目的でレコーディングを開始する事となりました。ただ売れる事を目指す訳ではなく、プロのバンドである以上のケジメとして具体的に人に伝え広がっていく事に挑戦したいとの意図であると氷室は述べています。また、前作が作り込まれた作品であった事から、本作は「ライブハウス時代を思い出そう」というコンセプトでよりシンプルな4人だけでの演奏を追求した作品となりました。しかし布袋さんの意向により、ゲストミュージシャンとして山下久美子さんやホッピー神山さん、矢口博康さんなどが参加しています。 松井恒松さんは3枚目のアルバム『BOØWY』(1985年)に近い制作環境であったと述べ、布袋さんは前作が夢うつつや憂鬱などを表現し趣向を凝らした内容であったのに対し、本作では作曲時のインパクトやメロディアスな曲を大胆に取り入れる方向性で制作したと述べています。また布袋さんは前作とそれを具体化したツアー「JUST A HERO TOUR 1986」を経て本作に行き着いたとし、ツアーによってリスナーからのBOØWYに関する認知度が高まった事から「手のひらを見せたってかんじ」であると述べ、氷室さんはそれまでのライブで着飾った部分を見せてきた事からファンとの信頼関係を鑑みて「そろそろ肌を見せてもいい」と判断したと述べています。制作段階では本作をラスト・アルバムと想定していた事が明らかにされており、アルバムタイトルには全ての始まりとなった東芝EMIへの移籍前の1984年のライブツアーと同じ名称が使用されました。

 リリース当時、音楽誌『ギターブックGB』1986年12月号のインタビューにおいて氷室さんは、BOØWY結成当時の瞬発力を表現したいと述べた他、BOØWYのデビュー時にはセックス・ピストルズを始めとしたパンクムーブメントが終了し、スクイーズなどのメロディがはっきりとしたバンドが出現した時期であった事もあり、この時期にあえてそれらの要素を取り入れた作品を目指して制作した事を述べています。また、布袋さんの意向によりT・レックスのような曲が収録されている事を述べた他、BOØWYのルーツとなった音楽を裸になって表現した作品であるとして、前作が「オシャレに着飾ったアルバム」であるとした場合、本作は「“肌”の部分が強いね。“肌で感じさせよう” みたいな」とも述べています。高橋まことさんは自著『スネア』において、本作は前作の揺り戻しが背景としてあった上で制作された事を述べ、「今の自分たちがゴリゴリでシンプルな8ビートである “BEAT EMOTION” を刻むとこうなるんだ」という事を提示する作品であった事を述べています。また高橋さんは前作が氷室さんの色が強い作品で、本作は布袋さんの色が強い作品であると述べています。


 先行シングル「B・BLUE」はPVが制作され、テレビ等で放送された。 テレビ番組出演に関しては、音楽番組『夜のヒットスタジオDELUXE』(1985年 - 1989年、フジテレビ系列) に出演し、11月5日は「B・BLUE」を演奏、12月3日にはまだシングルカットされていなかった「ONLY YOU」を演奏しています。その際にテレビ局側との事前の打ち合わせにおいて、「氷室は郷ひろみ、布袋は宮路オサムの物真似が得意です」と冗談で回答した所、12月3日の生放送本番中に司会の古舘伊知郎さんから物真似を行うよう要求されましたが、メンバーは「物真似するためにここへ出てきたわけじゃありません」と拒否する事となりました。この件に関して後年古館さんは、当時名古屋のホテルで氷室と偶然出会った際に、氷室さんから「この前すいません。ちょっと歌前で気取ったトークしちゃって」と話しかけられたエピソードを述べており、その後テレビ朝日系報道番組『報道ステーション』から古舘さんが降板した際に発した最後のメッセージを見た事を切っ掛けに、WOWOWで放送された氷室さんの引退までの足跡を追ったドキュメンタリー番組のナレーションを氷室さんから依頼される事になったと述べています。また高橋さんは『夜のヒットスタジオDELUXE』の出演時に、2回とも自分だけ別のドラムブースが用意されていた事やドラムセットも自身所有のものではなく番組の持ち回りであった事から「二度と出るもんか」との感想を持ったと述べています。 その他にも12月3日にバラエティ番組『オールナイトフジ』(1983年 - 1991年、フジテレビ系列)にも出演し、「B・BLUE」、「BEAT SWEET」、「ONLY YOU」の3曲を演奏しています。当時同番組は生放送の体裁で放送していましたが実は収録であり、霧吹きで汗をかいたようにした状態で「今日はどうでしたか?」と締めのコメントを先に収録した後に演奏が行われた事を高橋さんは自著『スネア』において述べています。また当時「B・BLUE」がベスト10入りした事でTBS系音楽番組『ザ・ベストテン』(1978年 - 1989年)からも出演オファーが届いたが、司会者の思惑通りになってしまう事や待ち時間が長い事を危惧した結果、出演拒否を続ける事になったとも述べています。

 あの『夜ヒット』の件以降、本当にテレビ出なくなった気がします。しばらく古舘伊知郎さん嫌いでした。


 本作のサウンド面に対する批評家たちの評価は肯定的な意見が多く占めており、音楽情報サイト『CDジャーナル』では、それまでのBOØWYの作品にあった刺々しさが無くなっていると指摘した上で「一段と格好良さが増し、それがアルバムに出たと思えてきます」とした他、「ポップさを全面に出しつつ、シンセなどを大胆に取り入れた新しいロックの音を確立した」として「頂点を極めたJ-ROCK史に残る名アルバム」と絶賛、音楽誌『別冊宝島653 音楽誌が書かないJポップ批評18 BOØWYと「日本のロック」』においてライターの根本桃GO!さんは、プロデューサーが佐久間正英さんから布袋さんの単独プロデュースに移行した事からビート感が強まったと述べ、高橋さんおよび松井さんによるリズム隊も「より堅固に、より鋭利となり、音全体にビシッと確たる一本の筋が通ったかのようだ」と評した他、理解しやすい曲調で氷室さんの歌声や布袋さんのギターが明瞭に浮かび上がる事から「これぞまさに90年代に連なるビート系バンドの原型、お手本といった仕上がりになっている。完成度は非常に高い」と絶賛し、また本作の最大の功績は若者全般にロック音楽を行き渡らせた結果、Jロックバンドの商業化が一気に加速した事であると主張しました。その他、音楽誌『別冊宝島1322 音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説』において音楽評論家の今井智子は、本作がバンドのアルバムであるという印象が強いのはプロデューサーが佐久間正英さんから布袋さんに変更されたためであると主張した他、布袋さんが佐久間さんから得た技量を遺憾なく発揮した結果、「以前にも増して“BOØWYらしい”作品に仕上がった」と肯定的に評価しました。

 最終的な累計では売り上げ枚数は約109万枚となりました。高橋さんは自著『スネア』にて本作が累計で120万枚となったとし、東芝から「オリコン1位おめでとう」のメッセージと共に木箱に入った赤いバラが贈与された事を述べています。


 本当にBOØWYらしい作品というか、練りに練られたアルバムだなと思います。彼らのかっこ良さが一番出てるというか…次作も素晴らしいけども、聴くと、どうしても“解散”が頭をよぎってしまいますから。このアルバムのジャケットかっこいいですね。ロックの花形であるボーカリストとギタリスト。ジミーペイジとロバートプラント、ミックジャガーとキースリチャーズ、スティーヴンタイラーとジョーペリー。氷室京介さんと布袋寅泰さん。


  





 



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