https://youtu.be/Onl-y2ZoNuA


 『Red』は、1996年7月3日にcutting edgeからリリースされた相川七瀬さんのデビュー・アルバム。オリコン週間1位。

 「夢見る少女じゃいられない」「バイバイ。」「LIKE A HARD RAIN」「BREAK OUT!」4曲の表題曲とカップリング曲2曲、さらに新曲5曲を加えた全11曲を収録。 3週目でミリオンセラー。総売上は約245万枚。ファースト・アルバムでありながら大ヒット作となりました。 ジャケットのデザインは、織田哲郎さんを始め、BOØWY・LOUDNESS・浜田麻里さん・B'z・T-BOLANなどビーイング初期から中興期のジャケットを手掛けたカッツ三宅さんが手掛けました。ビーイングのスタジオで録音されました。トータルプロデュースは織田哲郎さん。

 僕の勝手なイメージですが、大黒摩季さんほど、やさぐれてなけど、尖った女の子の心情を歌い上げていたように思います。

 

 相川七瀬さんは、1990年(平成2年)に中学3年生(15歳の頃)でCBS・ソニーグループ主催のオーディションを受けますが結果は不合格。芸能界入りを諦め大阪府立北淀高等学校に進学するも、約1年後、オーディション審査員の織田哲郎さん(後のプロデューサー)から直接電話を受けます。 その際、相川さんの中で芸能界入りを諦めていたとして一度は断りますが、この時に織田さんから自宅の電話番号を伝えられ、約1年後に改めて織田さんに連、上京。歌手デビューのためにボイス・トレーニングを開始。芸名「相川七瀬」はプロデューサーである織田哲郎さんが命名しました。 1995年11月、織田さんのプロデュースによるシングル『夢見る少女じゃいられない』でエイベックスのmotorodレーベルから歌手デビュー。相川さんをトータルプロデュースするにあたり、織田さんはそれまでの「前向きなガール・ポップ」に対して「前向きじゃないダークなロック」を全面に打ち出しました。

 一時期、この系統の女性ソロアーティストをほとんど見なくなってましたが、今なら誰に当たるんでしょうね。今もいないかもしれない。ロック調ではありますが、万人に受け入れられるポップな歌手という印象でした。ロック歌手のようなアイドル?織田哲郎さんのプロデュース能力と相川七瀬さんのリアルが起こしたマジックでしょうか。織田哲郎さんは、小室哲哉さんと並ぶ90年代を代表する音楽プロデューサーですね。


 

 






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