https://youtu.be/BhSUJAMueeY
『プロローグ〈序幕〉』は、日本の歌手中森明菜さんの1枚目のスタジオ・アルバム。このアルバムは1982年7月1日にワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)よりリリースされました。
このアルバムのプロデュースは「スローモーション」に続き、小田洋雄さんが担当しました。このアルバムの帯コピーは、「〔あ・き・なNo.1〕あらゆる可能性を秘めて待望のファースト・アルバム完成。歌唱力・ルックス・スター性その全てをとっても、あきなはNo.1です」でした。本作のレコーディングは、公式には1982年2月からロサンゼルスで行われたとされており、自身初のレコーディングでしたが、5日間でレコーディングを終えました。しかし一方で、明菜さんへのインタビューで明かされたところでは、既に1月の時点で録音は終わっており、レコーディングのための渡米は話題作りと、レコーディング風景や現地の遊園地でのプロモーションビデオ撮影のためとされています。明菜さんは本作収録楽曲が出来上がった際、1曲だけ好めない楽曲があり自身のイメージと違うと感じていたものの、最終的にはディレクターとの話し合いの末、納得した上でレコーディングしたことを明かしています。 1983年2月より、本作と次作『バリエーション〈変奏曲〉』、そして3枚目のスタジオ・アルバム『ファンタジー〈幻想曲〉』を引っ提げた自身初の全国コンサート・ツアーAkina Milkyway '83 春の風を感じてが行われました。
本作の10曲の中から先行シングルとしてのデビュー曲が選ばれ、A面は「スローモーション」、「銀河伝説」、「あなたのポートレート」、「Tシャツ・サンセット」の4曲の中から「スローモーション」が、B面は候補外から「条件反射」が選ばれました。オリコン週間LPチャートの1982年7月12日付で初登場7位を記録しました。明菜さんはシングル作品より先行してアルバム作品でトップテン入りを果たしました。シングル作品では、1982年7月28日に発売された2枚目のシングル「少女A」が、オリコン週間シングルチャートの1982年10月4日付で9位を記録し(最高順位は同年10月18日付の5位)、トップテン入りを果たしています。同曲のヒットと共に本作のセールスも伸ばし、1982年10月4日付のオリコン週間LPチャートで『プロローグ〈序幕〉』は最高順位5位を記録した。同チャートの100位以内においては、計47週に渡ってランクインしています。また、本作のコンパクトカセット盤は、オリコン週間カセットチャートで最高順位7位を記録し、同チャートの100位以内には計51週に渡ってランクインしました。
中森明菜さんは、1981年、『スター誕生!』本選3度目の挑戦となった8月2日の放送(7月11日収録)で、中森は山口百恵の「夢先案内人」を歌い、同番組の史上最高得点となる392点で合格しました。合格後、スカウトを受ける場となる決戦大会までのおよそ1か月間、日本テレビ音楽学院でボーカルとダンスレッスンを受けます。11月29日放送(11月11日収録)の決戦大会前の事前審査にあたる下見会を経て、12月6日放送(11月18日収録)の決戦大会で再び「夢先案内人」を歌唱。合計11社のレコード会社や芸能プロダクションから獲得の意向を示すプラカードが上がりました。これを機に明菜さんは、研音所属とワーナー・パイオニアとのレコード契約を決めました。
1982年、5月1日にシングル「スローモーション」でデビュー。1980年代のアイドルにはキャッチフレーズが付けられ、中森のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」でした。
この次のシングル『少女A』ではもう、少し歌声が大人っぽくなる気がします。完全なる少女の初々しい歌声、正統派アイドル(松田聖子さんみたいな?)の踏襲は、『プロローグ〈序幕〉』だけですね。すでにツッパリ路線の曲も歌っており、それも歌いこなしてて、既に確かな歌唱力を持っていて、可能性の塊だったんだなと思いました。