https://youtu.be/ZohDdOOXK0o


 『誕生』は、日本の尾崎豊さんの5作目のオリジナル・アルバム。英題は『BIRTH』。

 1990年11月15日にCBSソニーからリリースされました。マザーアンドチルドレンからの移籍第一弾として前作『街路樹』(1988年)よりおよそ2年ぶりにリリースされた作品であり、作詞・作曲のみならずプロデュースも尾崎豊さんが担当し、初のセルフプロデュースによるアルバムとなりました。初期3作のプロデューサーであった須藤晃さんはディレクターとして参加しており、約5年ぶりの共同作業となりました。尾崎さんは再びかつてのプロデューサーである須藤との共同製作を希望し、古巣であるCBSソニーへの移籍を検討していました。また、同時期に『月刊カドカワ』編集長であった見城徹さんとヒルトンホテルのスポーツクラブで再会。当時所属レコード会社も所属事務所もなかった尾崎さんは見城さんに「僕は何もかも失くした」と告げ、「もう一度ステージに立ちたい、アルバムを出したい」と何度も述べていたといいます。尾崎さんの要望を受け見城さんは当時の『月刊カドカワ』の総力特集にて尾崎さんを題材とし、本来であれば総力特集で扱われるアーティストは現役のトップミュージシャンなどがメインであった所を、まだ作品をリリースしていない状態で復活を遂げていない尾崎さんをメインに据える形で「尾崎豊 沈黙の行方」と題した特集を強引に組み出版しました。結果として、尾崎さんを特集した『月刊カドカワ』は見城さんが編集長を務めた7年半の間で最も返本率の少ない号となりました。

 レコーディングは日本国内で行われ、日本国外の著名なスタジオミュージシャンであるエディ・マルティネスやジェリー・マロッタ、ジェフ・ボヴァなどが参加している他、安全地帯のギタリストである武沢豊が参加、編曲は安全地帯のプロデュースを手掛けた星勝が担当しています。外国人ミュージシャンの起用により、ロックの他にもジャズやフュージョン、シティ・ポップなどの音楽性も含まれています。 先行シングルとして「LOVE WAY」がリリースされ、後にリカットとして「黄昏ゆく街で」および「永遠の胸」がリリースされました。本作はオリコンチャートにて初登場1位を獲得。自身の周囲に対する攻撃性が表現された歌詞や外国人ミュージシャンを起用したサウンドは批評家たちからは賛否両論となりました。

 本作は生前に発売されたオリジナルスタジオアルバムとしては唯一の2枚組作品となりました。アルバムタイトルは当初『永遠の胸』と『誕生』が候補に挙がっていましたが、最終的に『誕生』に決定しました。尾崎は2枚組全20曲のボリュームとなった事は必然的であったと述べています。3枚目のアルバム『壊れた扉から』(1985年)以降、ブランクが空いた事に関しては充電期間であったと述べた他、コンサートやレコードで自身が希求したものがリスナーに伝わっているのか疑問に思った事が原因であると述べています。なお、尾崎さんはリリース直前に収録されたラジオで「LAST TEENAGE APPEARANCE」ツアーでした約束をこのアルバムで果たせる」という発言をしています。

 第一子の誕生に関し尾崎さんは、「子供ができて、いままで以上に痛みとか、暖かいものを伝えてあげたいと思う気持ちが強くなったような気がしますね」と述べています。またその影響から、本作には結婚や子供の事を題材にプライベートを歌った曲が多く存在し、またアルバムタイトルとしても使用される事となりました。またその反面、テロリストを題材とした「銃声の証明」のような社会的な曲も収録されています。尾崎さんは世の中がテクノロジーの進歩によって人間性が失われていくのではないかと危惧し、音楽業界においても時代によって渇望された優しい歌の制作と、何かに帰属する事でしか存在意義を見出せない者への2極化していくと指摘しています。本作の制作後に「LOVE WAY」など一部の歌詞が難解すぎるといった反応がありましたが、尾崎さんはそれを聞いてむしろ安堵したと述べた他、補足が必要であるとも述べています。また少しでも理解しやすいものにするため、「LOVE WAY」など一部の曲を英語タイトルにしたとも述べています。須藤晃さんは尾崎が従前より自己表現ではなく自己変革を目指していると指摘し、本作において尾崎がプロデュースを手掛けた事でそれがより明確になったと述べています。また須藤さんは本作に関し尾崎さんに対して「リアリティがないし、意味も伝わってこない」と伝えましたが、そのような混迷した状態を記録として残す事も重要であるとも尾崎さんに伝えています。


 本作はオリコンチャートにおいて初登場1位を獲得、売り上げ枚数は25万枚となりました。その後もランキングに残り、登場回数は27回となり最終的な売り上げ枚数は48.1万枚となった。他の案件を疎かにするほど尾崎に入れ込んでいた見城さんは、本作が1位を取らなければ意味がないとして尾崎さんと復活を約束し合っていたといいます。そして初登場1位の報を受けた見城さんは、同じホテルに滞在していた尾崎さんに電話で連絡し「下のバーで待ってる」と告げ、バーに入ってきた尾崎さんは泣きながら見城さんと固く抱擁し合ったといいます。


 僕は尾崎豊さん、リアルタイムで知ったのは、あの逮捕の後の『太陽の破片』から。その後、どういう動きをするのか注目していて、初めて買ったアルバムが『誕生』となりました。その時に尾崎豊とはどんなアーティストなのだろう?とレンタルで過去作品も、『街路樹』も聴きました。

 十代三部作はともかく、『街路樹』『誕生』『放熱への証』は難解ですね。とうに彼の年齢を追い抜かしてしまったのに、分からない表現、難しい言葉が並びます。まあ、僕が普段、文学に触れることも少なく、知識が少ないということもあるから、読み取れないこともあるのかもしれませんが。年齢を重ねたら、そういうことなのかなということも増えましたが。

 この作品は大人になった尾崎豊さんがこれからどういうことを歌って行くのか突き詰めて完成したアルバムだと思いました。だから、『誕生』『放熱への証』の続き、中年になってからの彼がどんな作品を作ったか興味はあります。

 まあ、それは仮定の話で無かったことであり、『放熱への証』までが“尾崎豊”だったんでしょうけど。『誕生』も、もがいた上で完成した難産であった作品だったのでしょうね。

 最近、もう一度聴いてみました。2枚組の大作ですが、散漫にならず、安定感のあるアルバムに感じました。











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