https://youtu.be/w6x-rA9Jbsw
「銃爪」は、世良公則&ツイスト(後にツイストと改名)3枚目のシングル。1978年8月10日に発売。オリコン週間1位。
累計売上は94万枚。TBSの音楽番組『ザ・ベストテン』では、10週連続で1位を獲得。これは、寺尾聰さん「ルビーの指環」(1981年)の12週に次ぐ番組2番目の記録。『ザ・ベストテン』では、社会的にも影響力の大きかった当番組に於いて、全盛期の沢田研二さん、山口百恵さん、西城秀樹さん、ピンクレディーら、歌謡曲の大スターを抑えて、初年度のシングル・年間第1位。
『第20回日本レコード大賞』の新人賞にもノミネートされましたが、世良は受賞を辞退し、レコ大への出演も見送りました。 「銃爪」は世良さんによる造語であり、辞書類には掲載されていません。 サビの部分は、フジテレビのバラエティー番組『めちゃ2イケてるッ!』のコーナー「只今参上 色とり忍者」(第2章)で、罰ゲームの綱引きをする際のBGMとして使われています(ただし、嵐がゲスト出演の第24回を除く)。 この曲は僕はこのイメージが強いですね。
いろんなカバーが存在するようですが、ノエビア「コスメティック・ルネッサンス」シリーズのCMソングに使われた坂本冬美さんによるカバーが印象に残ってます。ノエビアのCMも選曲のセンスが良いなあと思いながら観てました。
1978年7月10日に発売したデビューアルバム『世良公則&ツイスト』はオリコンで1位を記録、日本のロックバンドとしては、デビューアルバムが、チャートの1位を記録したのはこのアルバムが初めてでした。世良公則&ツイスト、Char、原田真二さんの三組は「ロック御三家」と呼ばれ、それまでの日本のロックミュージシャンと違い、初めて『ザ・ベストテン』などのテレビのランキング番組や歌謡番組、「月刊明星」「月刊平凡」等のアイドル雑誌、「セブンティーン」「プチセブン」などのティーン雑誌やテレビに頻繁に登場・出演しました。これがロックとは無縁だったファンを獲得することとなり、それまでのロックバンドにはなかった女性ファンを開拓して、新たな潮流を生み出すきっかけを創り出しました。日本語でロックを演奏できるアーティストがブラウン管に出てきたことは、日本の音楽シーンにとって大きな衝撃で、世良さんを見て初めてロックに触れた人も多く、男の子は世良さんのアクションをマネたそうです。
歌謡曲とニューミュージックの全盛期に於いて「ロックも売れる」ことを初めて証明したバンドでした。ロックの楽曲が最初に売れたのはダウン・タウン・ブギウギ・バンドのシングル「スモーキン・ブギ」(発売は1974年12月)、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(1975年6月)ですが、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド自体が"ロック"として見られておらず(宇崎竜童さん談)、また当時は歌謡曲、演歌、フォークが強く、他にロック系の後続がなくロックはメジャーになりませんでした。 "ロックのメジャー化"は、最も商業的に成功した世良公則&ツイストを筆頭とした「ロック御三家」と、マスメディアを拒否しながら、1978年に出したシングル「時間よ止まれ」と2枚のアルバム『ゴールドラッシュ』、『LIVE後楽園スタジアム』を全てヒットチャート1位にし、自伝本『成りあがり』のベストセラー、長者番付でロック系ミュージシャンとして初めて1位となった矢沢永吉さんや、「ロック御三家」より、ほぼ一年遅れで世に出たサザンオールスターズ、この年の年末から翌1979年にかけて大ヒットを出したゴダイゴ、甲斐バンドら、この時代誰も予想だにしなかったロック系のヒットラッシュからで、これらの大ヒットは音楽マーケットに大きな革命を起こしました。J-POPシーンの盛況は、商売にならなかったはずのロックが商売になり始めた77~78年に始まったとも評されます。
確かに後から観たVTR等で観るしかありませんでしたが、凄い人気だったようです。役者さんの印象も強いですが、僕は中島みゆきさんとデュエットしていたのがとても印象に残ってます。
「時代遅れのRock'n'Roll Band」で共演した桑田佳祐さんにも多いに刺激を与えたかもしれませんね。桑田佳祐は「ライバルに匹敵する存在って俺の場合はいないんだけど、あえて同世代で同じ職種の人間というなら、世良クンかなぁ。テレビ局で居合わせたときに浮いてる感じが似てたしね。やっぱり世良クンというライバルがいなかったら『テレビでロックだ!』みたいな感覚にならなかったと思う。いまでもたまに会うと、なんか兄弟と久しぶりに会うときのくすぐったさを感じる」と話しています。一方の世良さんも2017年に「もちろん、いい意味ではライバルでもあるんですけど、戦友ですね」「いまだに年に何回かメールのやりとりをさせていただいたりする」「彼はずっとサザンオールスターズを解散しないで、来年(2018年)くらいに40周年を迎える。僕もザ・ローリング・ストーンズが好きで、ずっとバンドを続けていたかったんですけど、僕は途中で解散しちゃったので。ですから桑田氏は僕の出来なかった道を唯一歩き続けている同期なので、尊敬してます、すごく」と語り、桑田さんの発言に対しても同意しています。また、2016年には「サザンには老衰になるまでやってほしい」とも語っています。