https://youtu.be/83vGdvc8Cs4


 1992年12月2日発売。8枚目のシングル。

 前作「ヒゲとボイン」(1991年)よりおよそ1年ぶりにリリースされたシングルであり、その後にリリースされた8枚目のアルバム『SPRINGMAN』(1993年)には収録されずオリジナル・アルバム未収録曲となりました。当初はクリスマスソングを目指して制作されていましたが、奥田民生さんのアイデアにより年末を題材とした楽曲に変更されました。

 シャッフル系のビートを基調とした中期ビートルズからの影響が色濃く反映された楽曲。 オリコンチャートでは最高位4位となったほか、後に鈴の音色を追加したシングル「雪が降る町 "more bell mix"」(1996年)がリリースされており(その後本作の売り上げが伸びなかったことから「良い曲なのに当時あまり売れなかったのは何故だろう」と考えた奥田であったが、「そうだ鈴だ!」との思い付きから鈴の音色を足したバージョンを制作、1996年11月1日に「雪が降る町 "more bell mix"」として同レーベルから再リリースされることとなりました。)、ウィンターソングの代表曲の一つとされています。

 また、本作を切っ掛けとして奥田さんと井上陽水さんの交流が始まったほか、後にPUFFYや安藤裕子さん、アイドルネッサンスなど多数のアーティストやアイドルグループによってカバーされています。


  UNICORNメンバーそれぞれがソロ・シングルをリリースするという企画の後、久しぶりにバンドとしてのシングルリリースが決定、奥田民生さんは「5人で演奏することを特に意識してつくった」と述べています。また、当時CMなどでクリスマスソングが注目されていたこともあり、「ユニコーンもクリスマスソングを!」というコンセプトで12月リリースを目指して楽曲制作が開始されました。しかしその後、「年末ソングにした方が大晦日まで流せる」と奥田さんが考え楽曲のコンセプトが変更されました。 8枚目のシングルをリリースするに当たり、UNICORNメンバーはそれぞれで楽曲を制作し持ち寄りましたが、シングル向きの楽曲がなかったため一度シングルリリースを中止する案が出されましたが、堀内一史さんは奥田さんが制作した本作を「カッコいい」と発言したためにシングルとしてリリースすることが決定しました。西川幸一さんは1年の締めくくりとして本作が適しているのではないかという奥田さんの意見もあったことから、本作をシングルリリースすることになったという経緯を述べています。奥田さんはメンバーが持ち寄った楽曲の中で本作が最も年末のイメージに合っていたとし、シングルリリースには理由が必要であったことから冬をイメージさせる本作を選定したとも述べています。

 

 本作はシンガーソングライターである井上陽水の息子が愛聴しており、それを知った陽水さんは奥田さんに手紙を送付することとなりました。手紙には陽水さん直筆による本作の歌詞が記載されており、奥田さんは真意を測りかねたといいます。しかしこれをきっかけとして陽水さんと奥田さんの交流が始まり、小泉今日子さんのシングル「月ひとしずく」(1994年)やPUFFYのシングル「アジアの純真」(1996年)などの共作を経て音楽ユニットである井上陽水奥田民生が結成されることとなりました。


 何となくですが、この曲の時点で、近い将来、解散するのかなと予感してたの覚えています。毎年、クリスマスを過ぎたら、この曲が脳内再生されるようになってしまいました。


  

 

  

 



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