https://youtu.be/GSoLM3_ZepQ


 『DAHLIA』は、日本のX JAPANが1996年11月4日にリリースした4作目のスタジオ・アルバム。オリコン週間1位。

 本作は元々「X JAPAN世界デビュー作品」として制作されていたものであり、日本盤のほかに全英語詞の世界盤が発売される予定の作品でした。しかし、YOSHIKIの英語の勉強・アメリカでの活動の際の弁護士とマネージャー等の著作権方面に対応できるパートナーのスカウト、Toshlの英語発音の問題やYOSHIKIの持病によりレコーディングが長期化し、更には市場のターゲットとしていたアメリカではニルヴァーナ等のシアトル発のグランジが注目されていたので、「今出しても売れない」と判断したため、このアルバムでの世界デビューを断念せざるを得なくなりました。 さらにレコード会社との関係悪化による資金不足などが重なったため、1993年以降の録音作品を次々にシングルカットしました。それでも費用不足となったため、YOSHIKIは本作のマスターテープを担保にした銀行融資・フェラーリ等の私財を投げ打ち、ビジネスとして成立するためにマネジメントから説得され、不本意ながらも先行シングルを出してまで制作費を捻出し、レコーディングを続行しました。しかし、日本でのプロモーション活動の為にTVCM用の音源をYOSHIKI自ら編集し、ライヴのリハーサル・ウォームアップ・トレーニング等で時間を割かれ、日本盤の完成の兆しすら一向に見えない状態のまま制作が続けられました。

 1993年以降のX JAPANのシングルには、かつてのようなハイスピードナンバーはほとんどなく、速くてもBPM 160前後のアップナンバーがある程度で、ほぼバラード曲が中心となりました。これはYOSHIKIの持病悪化によるものとも言われており、このアルバムに収録が予定されていたハイスピードナンバーや、前作『Jealousy』に収録予定だったハイスピードナンバーのレコーディングも見送られました。なお、これら未発表作品の詳細は不明。

 シングル「Tears」以降は、ほぼ1年に1枚のみのシングルリリースにペースが低下し、シングル作品にもカップリングは制作されず、全てカラオケやバージョン違いが収録されました。本格的に発売ペースが戻るのは本アルバムが発売される1996年に入ってからですが、それでもカップリング曲はライブバージョン、カラオケのみでした。実質的な先行シングルとなる「CRUCIFY MY LOVE」を経てようやく本アルバム発売の目処が立つことになります。 全国ツアー『DAHLIA TOUR 1995-1996』終了後に本アルバム発売がアナウンスされたものの、10曲のうち6曲が本アルバム発売前となる1996年11月には、既に先行シングルとして世に出た楽曲となっており、後にシングルカットされる「SCARS」もライブではすでに披露されていたために、実質的には1993年以降にリリースされたシングルコレクションともいえる作品となりました。一部の作品ではアルバムバージョンとして手直しが施されているものの、ほとんどの曲はシングルバージョンと同一。 アルバムタイトルが決まったのが1994年で、「『DAHLIA』という空想の少女が、悲しみ・孤独等YOSHIKIの色々な言葉を彼女の解釈で言っていく」ことをコンセプトにしました。 アルバムのジャケット写真はニューヨーク・ブロードウェイの路上にバラを撒いて撮影されました。 アルバム発売後は「SCARS」のシングルカット、2日間の年末の東京ドーム公演こそ行われたものの、翌年春にToshlのバンドからの脱退が決まり、X JAPANは解散することとなります。


 『DAHLIA』は、本当に新鮮味に欠けるアルバムになってしまいましたね。TAIJIのような存在の不在が痛かったのかなあ。YOSHIKIに物申せる人がいなかったのかな。楽曲によっては参加していないメンバーの曲があるし、バンドX JAPANのアルバムというよりは、プロジェクトX JAPANのアルバムと言ったところでしょうか。

 相次ぐシングルの先出しがなければもう少し違う印象になったかもしれませんが、発売当初は非常にモヤモヤしたアルバムでした。一曲一曲のクオリティは素晴らしいのですけどね。『DAHLIA』や『SCARS』なんて、『Jealousy』までと違って、単なるメタルじゃなくて、当時のアメリカのトレンドを取り入れているように思います。質の高い作品を作りたかったという意図は伝わってくるように思います。決して駄作ではないと思います。YOSHIKIは失敗作だと言っているようですが。確かに初期衝動や刺激のようなものは以前の作品には劣りますが。

 しかし、メンバー各々がソロ活動を始め、スケジュール調整が困難となり、なかなかバンドとして纏まらないという事情もあったと言われているし、“世界進出”への熱量がバラバラだったのかもしれませんね。YOSHIKIがSNSを活用したり、メディアに出てきたりするから、彼に批判や『アルバムはいつ?』という疑問が向けられがちですが、動きたくても動けない事情があるのでしょうね。


 HIDEもHEATHもTAIJIも居なくなってしまいました。せめて幼馴染のふたりの溝がうまることが先に逝ってしまったメンバーへの供養になると思うのですが…。

 


 


 


 



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