https://youtu.be/kGZEsWtL7eA


 『BEAT out!』は、GLAYのメジャー2作目のオリジナル・アルバム。

 1996年2月7日発売。

 本来は1995年11月にリリースする予定だったのですが、スタッフから「アルバムを出す前にもう1枚シングルを出してほしい」という声がかかり、2か月半も延期してのリリースとなりました。

 そしてリリースしたシングルが、ブレイクの転機となった「グロリアス」。 1995年の本作制作時は、レコーディングが1回か2回ほど中断したこともあり、途中で完成しないかもしれないと思ったこともあり、また、アルバムをどうやって世に出すかについても、スタッフと色々意見がぶつかり合っていました。しかし、「グロリアス」の制作に入った段階で、ようやく出口が見えたとTAKUROが語っています。そのため、TAKUROは本作に関しては、「グロリアス」の制作に入るまでは、自分にとって傷口からダラダラ血を流しているようなアルバムだったが、「グロリアス」のおかげで、全てが前に加速し出したのを感じたことを当時のインタビューで語っています。 


 本作からサポートのドラマーとして、永井利光さんが参加しており、「Yes, Summerdays」「月に祈る」以外は全て永井さんがドラムを担当。以降GLAYのサポートドラマーとして欠かせない存在となっていくことになる。TERUは当時のインタビューで、「前回はドラムにしても、レコーディングに来てもらって、そこで初めてアレンジしてある楽曲を叩いてもらうという感じでしたから。今回はライブツアーを一緒にまわった永井さんとアレンジして、その勢いのままレコーディングすることができたし。そこがやっぱり最大の違いですね」と永井さんが加わったことにより、前作以上にレコーディングに大きな手応えを感じたことを語っています。

 

 8枚目のシングル「グロリアス」の初のトップ10入りなど、人気急上昇中だった影響もあり、本作でシングル・アルバム通じて初のオリコンチャート1位を獲得し、最終的には80万枚のセールスを記録しました。

 GLAYのデビュー時は、いわゆる「ヴィジュアル系」と呼ばれるバンドのイメージでした。音楽プロデューサーの佐久間正英さんによると、GLAYを最初に聴いた時は、自身がプロデュースしていたUP-BEATやBOØWYを混ぜた感じであり、BOØWYの影響を受けた世代のバンドであると述べています。TAKURO自身も1980年代に、BOØWYやレベッカ、THE BLUE HEARTSなどの日本の音楽を好んで聴いていたと述べており、「GLAYは日本のいわゆるロックを模倣するところから始まって、海外からの影響っていうのはずっと後のこと」と2021年のインタビューで語っており、これまでに発表した楽曲は海外の音楽からの影響よりも前述の日本独自の音楽ジャンルであるビートロックから影響を受けたものが多くあります。。GLAYの楽曲のほとんどの作詞・作曲をリーダーのTAKUROが担当していますが、TERUはTAKUROが作詞作曲に関していろんなジャンルにルーツがあることが他のバンドとの違いを生んでいると述べており、GLAYは後に「ヴィジュアル系」枠を越えた人気を獲得するようになりました。


 まあ、「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」路線だと売れなかった、似合わなかったでしょうね。化粧をして、背広、スーツも似合うかっこいいお兄さん達的な今まであまりなかったタイプ、そして、音楽的にもビートルズや80年代のロックをもろに受けていて、親しみやすかったですね。このアルバムは次の『BELOVED』や『PURE SOUL』のような売れた安定感より、頂点に登って行く勢いが感じられて本当に大好きなアルバムです。

 







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