https://youtu.be/ohFpM3X0H6w
1972年7月1日に、自身の2枚目のシングルとして発売。オリコン週間69位。
デビュー・アルバム『断絶』からのシングルカットで、当初はヒットしなかったのですが、いつしか初期の陽水さんの代表曲といわれるようになりました。ジャケット写真の石段は猿楽町からマロニエ通りに上がる「男坂」。
歌のテーマは、当時の日本社会に多少の皮肉を込め、世の中で起きている学生運動よりも、今は自分が「君」(恋人)に会いに行かねばならないのに「傘がない」という問題のほうを考える必要があるというもの。 制作当時はまだ学生運動の季節でした。しかし過激化した学生運動は、アルバム『断絶』やシングル「傘がない」リリースの頃すでに下火になっていました。寺島実郎さんは1972年に吉田拓郎さん「結婚しようよ」、井上陽水さん「傘がない」を聴き、寺島さんは「大学のキャンパスにいた最後の年だったが、『政治の季節』が終わったことを確認した」と言います。 「傘がない」のリリースは、学生運動の勢いが下り坂になったあとに訪れた「シラケの季節」に丁度突入していたため、社会的問題に向き合わないミーイズム(meism: 自己中心主義)の登場とも言われました。陽水さん本人は、「別にそんなふうに考えて作った歌ではないんですよ。ただ単に、周りが政治の季節であったというだけのことで…」と語っています。すなわち制作当時は学生運動が盛んであったが、リリースまでの時間差が誤解を生じさせました。
2011年東日本大震災の発生によりツアーを中断、「しばらく歌う気になれなかった」陽水さんは2012年4月からの全国ツアーにおいて、「傘がない」は「今歌うことに疑問がある」、原子力に言及する「最後のニュース」は「今は適切でない気がする」と話しました。
ホリプロの制作担当で陽水さんのディレクター兼マネージャー・川瀬泰雄さんは、1971年7月17日に開催された、悪天候に見舞われ伝説となっているグランド・ファンク・レイルロードの日本公演「ロック・カーニバル#6」に陽水さんを招待。「傘がない」は、その公演で演奏された楽曲「ハート・ブレイカー」に影響を受けて誕生しました。
歌詞に関しては「都会では自殺する若者が増えている」の出だしが、この曲の代名詞にもなっていますが、これはビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の“I read the news today, oh boy.”からインスパイアされたもの。
2008年のベスト・アルバム『弾き語りパッション』のミュージック・ビデオ(MV)に収録されている「傘がない」は、オダギリジョーさんが陽水の若かりし頃を演じます。俳優がアーティスト本人役を務める試みは業界初でした。横浜市の桜木町駅前で撮影。ミュージック・ビデオの歌声は陽水さんのもの。 オダギリジョーさんは陽水の大ファンであり、オダギリさんの好みは「氷の世界」といいます。2007年の映画『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』で主演を務めたオダギリさんは、映画のパンフレットで「人生が二度あれば」の詞に感動したと語りました。映画の原作者リリー・フランキーさんと陽水は親交が深いそうです。陽水のレコード会社スタッフがこのパンフレットを見て陽水さんに持ち掛けて話が進み、依頼を受けたオダギリさんは快諾。
いよいよ、うちの近くの地域は梅雨入りしました。傘を忘れましたが、退勤時は雨に濡れずにすみました。