「百万本のバラ」(ロシア語: Миллион розミリオーン・ロース)は、ラトビアの歌謡曲『Dāvāja Māriņa』(ダーヴァーヤ・マーリニャ)を原曲とするロシア語の歌謡曲。ソビエト連邦の歌手アーラ・プガチョワ (ロシア語版)の持ち歌として知られます。

 女優に恋をした画家が家も財産も売り払ってバラの花を買い、女優の泊まる宿の窓の下に敷き詰め名乗り出ることもなくその姿を遠くから眺めて立ち去っていく…というロマンティックなもの。 しかし原曲の歌詞は全然違っていて、ラトビア歴史の悲劇を歌ったものだといいます。  もともとの歌詞は、画家や薔薇とはまったく関係ないそうです。 ラトビアは、小国ゆえに歴史的に近隣のスウェーデン、ポーランド、ロシア、ドイツなどによって絶えず侵略・蹂躙されてきました。 独立への思いを抱きながらも、多くの時間においてそれを成すことができませんでした。 詩人ブリディスは、そんなラトビアの悲劇の歴史を「幸せをあげ忘れた」と表現し、これにパウルスが旧ソ連時代の1981年に曲を付け、女性歌手アイヤ・クレレがラトビア語で叙情豊かに歌ったのが最初でした。 子守唄のように優しく歌いながら、実はそこには民族の自尊心とソ連への抵抗への思いが込められていたのだそうです。 しかし、当時支配者だったロシア人は、原語のそんな意味も分からず、魅力的なメロディーだけを歌い継ぐこととなりました。 ボズネンスキーという男が作詞したロシア語の歌詞では、なぜかグルジア出身の放浪の画家ニコ・ピロスマニを題材とした“悲恋”が描かれ、それをロシアの人気女性歌手アーラ・プガチョワが唄って大ヒットさせました。


 日本では加藤登紀子さんによる日本語版でも知られます。1987年4月25日発売。オリコン週間47位。加藤の「百万本のバラ」は、元々1986年9月25日発売のオリジナルアルバム『MY STORY/時には昔の話を』収録曲でしたが、問い合わせが相次ぎ1987年4月25日にシングル発売された。その後この曲は口コミで広まりヒットしました。

 いろんなカバーがありますが、これは加藤登紀子さんのバージョンが一番素晴らしいと個人的には思います。昔は歌が大人っぽすぎて分からなかったのですが、自分が歳を重ねて良さが分かってきた気がします。


 

  

 






NO MUSIC&SONG, NO LIFE - にほんブログ村