https://youtu.be/U3hlTDLcg5w


 1986年2月5日発売。オリコン週間2位。ザ・ベストテン週間3位。

 本田美奈子さん最大のヒット曲、80年代アイドルの代表曲。 2005年11月6日に本田美奈子さんが38歳で亡くなった際の訃報記事の多くが「1986年のマリリン」と共に悲しみを伝えました。

  作詞は秋元康さん。前シングル「Temptation(誘惑)」がスマッシュヒットになったものの、各種ランキングの10位以内に届かなかったことが、美奈子さんにとっては非常に悔しいことでした。「もっと強く自分の個性を打ち出せる楽曲を」と希望する旨をスタッフと協議し、当時作詞家としても勢いに乗っていた秋元さんに作詞の依頼をしました。秋元さんとは1985年5月からニッポン放送『ヤングパラダイス』内の箱番組「KIDS IN TOSHIBA かぼちゃークラブ」で共演しており、お互い気心の知れた仲でした。 秋元さんは、本田美奈子さんの気質や歌手としての資質、宿命などをキーワードにイメージを膨らませていったところ、貪欲なまでのプロ意識を持ってトップスターに上り詰めたマリリン・モンローが頭の中に浮かんできたといいます。「マリリン」というサビの部分とタイトルが決まり、そこから歌詞のストーリーを組み上げていったそうです。また、当時マリリン・モンローの再来と称され、強くてセクシーで格好良い女性の代名詞と言われたマドンナも楽曲のトータルイメージとしてインスパイアされています。

 ミュージック・ビデオはアメリカで撮影され、終盤には美奈子さんがウエストウッド・メモリアルパークにあるマリリン・モンローの墓へお参りするシーンがあります。

  曲とともに「ヘソ出しルック」も大変話題となりました。そのセクシーな衣装を身に纏い、曲のサビでは激しく腰を振る挑発的なダンスを披露しました。どちらも、それまでのアイドルとは異なったことをしたいという本人の希望から生まれたもの。 

 1986年2月20日、TBS系『ザ・ベストテン』で、念願だった初のランキング入りを果たす。同番組の出演は、1985年6月6日にデビュー曲「殺意のバカンス」で「スポットライト」コーナーに初出演を果たしてから約8ヶ月ぶりとなります。同曲でフジテレビ系『夜のヒットスタジオDELUXE』にも初出演を果たしています。以降、次々とヒット曲を世に送り出して多くの音楽番組の常連となりました。

  美奈子さんの生前、本曲をカバーした歌手はいなかったのですが、没後5年経った2010年、水樹奈々さんがアニメ『WHITE ALBUM』キャラクターソングシングル『POWDER SNOW』カップリングで本曲をカバーし、本田美奈子さん以外の歌手による初のカバーとなりました。


 ユーザー名を変えようと試行錯誤してたのですが、マリリンモンローの本名、昔からかっこいいなと思っていたので。ノーマジーン。そういうガールズバンドがいたり、BARBEE BOYSや中森明菜さんの楽曲にもありますね。


  


  

 



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