https://youtu.be/ZF99pK_go9g


 1994年8月21日発売。1枚目のシングル。オリコン週間7位。

 デビューアルバム『denim-ed soul』からのシングルカット。アルバムはインディーズレーベルからのリリースであるため、本作がメジャーデビュー作となります。 同年の『第46回NHK紅白歌合戦』に出場し、紅白で披露したヴァージョンは2番の歌詞が原曲と全く異なり、最後はYURIがGAKUに「受信料払ったほうがいいよ」と語る内容になっています。

 『DA.YO.NE』は、ジョージ・ベンソンの「Turn Your Love Around」を無断でサンプリングしたものでしたが、当時来日していた作曲者のビル・チャンプリンが偶然これを耳にしてレコード会社に異議を申し立て、後日、使用料の支払いをチャンプリンにすることで和解が成立しました。

 発売当初、さほど注目されなかったが、北海道ではFM NORTH WAVEが『DA.YO.NE』をヘヴィー・ローテーションの対象としたことで早くから話題になり、当時『ベストテンほっかいどう』(HBCラジオ)などの北海道のローカルチャート番組ではMEN'S 5の「“ヘーコキ”ましたね」と激しいトップ争いを演じました。この動きが後に他の地方へも波及、翌1995年に入ると全国的にCDの売上が急上昇、最終的にオリコンの週間シングルチャートで最高7位まで上昇しました。 この曲は、日本人制作によるヒップホップ作品で初となるミリオンセラーを記録しました。「英語以外のラップによるCD売上記録」としてギネスブックに掲載されました。1995年2月、ユニットとして2nd Single 『MAICCA -まいっか-』を発売。『DA.YO.NE』と共に新語・流行語大賞にノミネートされました。スチャダラパーと小沢健二さんによる「今夜はブギー・バック」と並んで、日本で生まれた初めてのヒップホップのヒット曲でした。男女、それも恋人ではなく仲間同士での日常の何気ない会話を、日本語でラップに乗せたのが画期的でした。このユルさが良かったのでしょうね。

 『DA.YO.NE』のヒットを受け、日本国内主要都市の方言バージョンがオリジナルの発売翌年の1995年に多数リリースされました。このうち、大阪弁バージョンのみが1995年2月22日に発売され、それ以外の5バージョンは約2か月遅れの同年4月21日に同時発売されました。この企画の参加メンバーは、基本的にその地方の方言の母語話者が採用されていた。 また、各地方の主要都市にはソニー・ミュージックエンタテインメントの営業所があり、その営業所の社員などがコーラスに参加していました。

 例えば、『SO.YA.NA』は、WEST END×YUKI(from O.P.D.)のシングルで、『DA.YO.NE』の大阪弁バージョン。オリコン週間6位と『DA.YO.NE』を上回りました。


 

  

 


 


 



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