竹内まりやさんが作詞・作曲した楽曲。中森明菜さんへの提供曲で、1986年発売の明菜さんのアルバム『CRIMSON』に収録されました。この明菜さんのアルバムの中でも好評な曲でしたが、翌1987年にまりやさんがセルフカバーしてシングルとしても発売し、これによって一般的に広く知られるようになりました。明菜さんも2002年発売のアルバム『Akina Nakamori〜歌姫ダブル・ディケイド』で再録音しています。
山下達郎さんは中森明菜さんのアルバム『CRIMSON』を聴き、明菜さんの楽曲の解釈に対して憤りを覚え、それをきっかけに、達郎さんが自身の手でアレンジしたいと思い「駅」のセルフカバーをしてみたらどうかとまりやさんに勧めた経緯があるという(このことは、まりやさんのベスト・アルバム『Impressions』の達郎さんによるライナーノーツに「そのアイドル・シンガーがこの曲に対して示した解釈のひどさに、かなり憤慨していた事もあって」とその経緯が語られています。当該部分では個人名は伏せられてはいますが、これが明菜さんのことを指しているのは明白です)。 その後、達郎さんはラジオで「あれはアーティストが悪いんじゃなくアレンジ等のスタッフに対する意見です」と語っています。…がこれ以降、山下達郎さんは個人的には嫌いです。そして、ラジオでの発言もちょっとね…もうちょっと他の言い方なかったのかなあ。
竹内まりやさんは、自身のベスト・アルバム『Expressions』のライナーノーツで、「'86年に中森明菜さんのアルバム用の依頼が来た時、 テーブルに彼女の写真を並べて、情景イメージが出て来るまでずっと見つめていました。せつない恋物語が似合う人だと結論を得た私が、めずらしくマイナーコードで一気に書き上げたこの曲を、のちに自分も歌い、今のようにスタンダードな存在になっていくと夢にも思いませんでした。明菜ちゃんからの依頼がなければ書けなかった歌です」と、作詞・作曲の経緯を述べています。
『Impressions』の達郎さんのライノーツを見て、個人的にはちょっとカチンとも来ましたが(あまりにも誰のことを言ってるか明白だし、無茶苦茶売れた『Impressions』にそれが載っているので)。
楽曲提供した時点で解釈は相手に委ねられていると思うので、両方の解釈アリなんじゃないかと思ってます。『私だけ(を)愛してたこと』(竹内まりや)と『私だけ(が)愛してたこと』(中森明菜)。後は好みの問題で、達郎さんにお気に召さなかっただけのことかな。しかし、不満であれば、世に出る前にどうにかできなかったのかなとは思います。
『CRIMSON』は確かに好き嫌いに分かれるアルバムですね。前作の『不思議』もちょっと発想がもうアイドルじゃなくて、アーティストの領域でしたが、『CRIMSON』もシングルで2年連続レコード大賞を獲る歌手のアルバムとしてはほとんどの曲が消え入りそうなウィスパーヴォイスで歌う実験的なものでした。
でも毎年、晩秋から年末にかけて夜、眠る前によく聴いてます。
『CRIMSON』の全体的なあのくぐもった感じであの歌唱は正解だと思います。竹内まりやさんは東京の列車のステーションで中森明菜さんは海外のスタスィオンかなあ。まりやさんの場合は別れたことを割り切っているし、明菜さんの場合は、片思いを引きずっているのでしょうか。
じっくり聴くと、両方とも解釈が正解、あとは聴き手の好みだけかもしれません。
竹内まりやさんの16枚目のシングル。1987年11月28日にアルファ・ムーン(現・ワーナーミュージック・ジャパン)よりセルフカバーとして発売されました。 竹内まりやさんによるセルフカバーは、1987年発売のアルバム『REQUEST』に収録され、また同年に「AFTER YEARS」との両A面でシングルカットもされました。 レコーディングの際、山下達郎さんは竹内まりやさんに「明るく聞こえる声質だからつまらないと思って歌ってくれ」と注文していました。 1991年に映画『グッバイ・ママ』の主題歌に使用され、同年にはシングルの2度目の再発盤もリリースされた。オリジナル盤との合算で13.2万枚の売上を記録しています。
映画の終盤には、まりやさんがエキストラとして数秒出演しています。
作った本人の解釈が正解ではあると思いますが、この楽曲の場合は、明確にしていないぶん、両方の解釈がありなのだと思います。まりやさんはもう過去のことだと割り切っていて、明菜さんの場合はまだ引きずっているような印象ですね。