1977年10月1日発売。19枚目のシングル。「日本の歌百選」に選ばれています。

 シンガーソングライターのさだまさしさんが作詞・作曲を手掛けた作品。 1977年当時、百恵さんは阿木燿子さん・宇崎竜童さんによるいわゆるツッパリ路線の楽曲で売り出していたため、本作をリリースした際には百恵さんに対し「なぜさだの曲を歌うのか」という疑問の声が多かったそうです。また、さだファンからも「なぜ山口百恵の歌を作るのか」という反響もあったそうです。さださんは、百恵さんには日本的な女性らしい面があるのではないかと考え、あえてそれまでのイメージを一変させるような曲作りを行ったといいます。 リリースされて3週間余りでオリコンの3位にランクされました。その後、ピンク・レディー「ウォンテッド (指名手配)」とジョー山中「人間の証明」に次ぐ5週間3位となり、50万枚近いセールスを記録しました。 第19回日本レコード大賞では、本曲によって百恵さんは歌唱賞を、さだは作詞で西条八十賞を受賞しました。 翌1978年1月19日に第1回が放送された『ザ・ベストテン』では、同回の12位が最高で、10位以内のランクインはなりませんでした(同じく第1回放送時は、次のシングル曲である「赤い絆 (レッド・センセーション)」が11位でした)。


 さださんは、山口百恵さん側からの制作依頼を受けてから督促が来るまで約2年間依頼の事実を忘れていたと言い、その後半年かけて完成したと語っている。 さださんは提供曲のレコーディングには立ち会うことを常としていますが、本作のレコーディングの際にはスタジオに立ち会えなかったそうです。さださんが電話で「(結婚をテーマにした作品であるため)まだピンと来ないでしょう?」と尋ねた際、当時18歳だった百恵さんは「はい」と正直に答えています。しかしその後、結婚を期に引退するラスト・コンサートの日(1980年10月5日)に「この歌の意味がようやく分かりました」というメッセージをさださんに送っています。 


 楽曲は百恵さんのファルセットを発揮するために高音域を選んだ曲作りがなされています。ただし、歌番組での百恵さんはオリジナル・キーのヘ短調よりも長二度落とし、変ホ短調で歌唱していました。 本作は元は「小春日和」というタイトルでしたが、曲を聴いたプロデューサーの酒井政利さんの提案で「秋桜」に変更となりました。当初、さだはタイトルの「秋桜」を、「コスモス」と読ませるつもりはなく、本来の和名である「あきざくら」とするつもりでした(さださんは後に短編小説集『解夏』中に「秋桜(あきざくら)」という作品を出します)。本作のヒットにより「コスモス」というそれまでになかった読み方が広まるようになりました。


 18、19、二十歳のアイドル歌手がこんな大人びた歌を歌っていた時代があったのですよね。近年は、30前後で笑顔で口パクするアイドルが増えてしまいました。また、こういう本物の“歌手”が現れると良いですね。作詞、作曲ができなければという時期もありましたが、やはり、聴く者を感動させる歌唱力、表現力が大事なのではないかなと思います。


 

 

  



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