https://youtu.be/Pp8ijuDprBQ
1978年3月25日発売。7枚目のシングル。
歌詞は「背番号1の凄い奴」「フラミンゴみたいにひょいと一本足」など当時のプロ野球を代表するスター選手だった読売ジャイアンツの王貞治選手を連想させる野球選手と女性投手が対決するという内容。この曲を作詞した阿久悠さんは、発売予定日がプロ野球のペナントレースの開幕が間近に控えた時節であったことと前年に専ら男性社会と思われていたプロ野球界で女性投手が入団し活躍する様子を描いた小説「赤毛のサウスポー」や漫画「野球狂の詩」が大ヒットしたことを材料にしたと当時語っています。 一旦は完成されながら「面白みがない」との理由で作り直されたという経緯を経て誕生した曲。最初にレコーディングされた作品は都倉俊一さんによる案外地味で大人しいミディアムテンポの曲調で、阿久さんも別の詞をつけていました。しかし、ディレクターの飯田久彦さんが、レコーディングまで終えた段階になって「これまでの作品に比べ、勢いがなく、面白みがない」と判断、急遽オーダーした都倉の新しい曲を持って来て阿久さんに歌詞の作り直しを願い出ました。プレスの関係で翌日の夜に再レコーディングという予定の中、阿久さんは深夜から新たな歌詞を創作して当日の午前4時前に完成、都倉による編曲も夕方に完成してレコーディングに間に合いました。 阿久さんは最初の大人しい曲のまま世に出ていたら、ピンク・レディーの人気の失速のきっかけとなっていたかもしれないと回想しています。なお作り直し前のものは、CD『続 人間万葉歌 阿久悠作詞集』(ビクターエンタテインメント、VICL-634041~634045)に「サウスポー(未発表バージョン)」として収録されていたす。 歌詞を書く上でモチーフとなった野球選手は(性別を別にすると)当時クラウンライター・ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)に所属していた永射保投手とされます。阿久さんは前年1977年のオールスターゲーム第2戦の4回表に永射投手が読売ジャイアンツの王貞治選手に対してアンダースローから大きなカーブで空振り三振に仕留めた投球に感銘を受け、この歌詞を書いたそうです。振り付けの投球フォームがアンダースロー気味なのはそのため。阿久さんはこの曲がヒットした後、王選手に会った際、「僕の歌をありがとう」とお礼を言われたそうです。最初の歌詞には王選手を連想させる箇所はありませんでした。 振り付けの一部は、月刊明星の読者から公募したものを採用しています。
ピンク・レディーとして初のオリコン初登場1位を獲得しました。当時はまだ、初登場1位は珍しかったようです。 ピンク・レディーは、この曲で第9回(1978年)「日本歌謡大賞」大賞を受賞し、第4回(1978年)「あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭」ベストアクション賞受賞。また「FNS歌謡祭」優秀歌謡音楽賞も受賞しました。 シングルの累計売上は180万枚(公称)。
ヤクルトスワローズの村上選手、ここまで来たらバースや王さん、バレンティンの記録を抜いてもらいたいな。バースの記録を抜かれるのは少々、悔しいですが、やはり日本プロ野球の記録は日本人がやってほしい。しかし、阪神も随分、村上選手に貢献してしまいました…。今夜はスポーツニュース一切観ずに眠ります。