1982年5月1日デビューアイドルの当たり年と言われた1982年のデビューで、「花の82年組」の1人。デビュー当時の明菜さんのキャッチフレーズは、「ちょっとエッチな美新人娘(ミルキーっこ)」。
 1981年7月11日、16歳の誕生日目前に出場した『スター誕生!』本選3度目の挑戦となった8月2日の放送(7月11日収録)で、明菜さんは山口百恵さんの「夢先案内人」を歌い、同番組の史上最高得点となる392点での合格でした。ワーナー・パイオニアとのレコード契約を締結。

1982年5月1日、16歳の時にシングルスローモーション」でデビューし、同年2枚目のシングル「少女A」がヒット。

翌1983年には、「セカンド・ラブ」「禁区」などもヒット。1980年代のアイドルとしては松田聖子さんと2強を競いました。

以降も「北ウイング」、「りじゃないのよ涙は」など連続してシングルヒットを出し、1985年の「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」と1986年の「DESIRE -情熱-」で2年連続となる日本レコード大賞を受賞。弱冠20歳で歌手としてトップクラスの実績を収めていました。

1980年代のシングル総売上げは年間ベスト50位以内のものに限っても932.5万枚、年間50位以内ランクイン曲数は22曲と、どちらも当時の女性アイドル中で1位でした。同じく1980年代、当時の女性アイドルの中で年間シングルオリコンチャート最高位の座は4回獲得しています(1983年、1985年、1986年、1987年)。

女優としても、1992年には連続テレビドラマ『素顔のままで』(フジテレビ系)に安田成美さんとW主演。その後も1998年の連続テレビドラマ『冷たい月』(日本テレビ系)で永作博美さんと共にW主演するなど活動を広げました。

2002年にはユニバーサルミュージックに移籍し、カバー・アルバム『-ZEROalbum- 歌姫2』を発表歌姫シリーズの第2弾として発売されたこのアルバムはヒットを記録。以降、『歌姫3 〜終幕』、『フォーク・ソング〜歌姫抒情歌』などカバー・アルバムのシリーズ作をリリース。2004年にはプライベートレーベル歌姫レコーズを設立しました。

2010年10月、体調不良により芸能活動の無期限休止を発表。それ以降メディア出演はもとより、公の場へ一切姿を現していませんでしたが、2014年12月31日、第65回NHK紅白歌合戦にスペシャルゲストとして、ニューヨークのレコーディングスタジオから生中継で登場し、4年3か月ぶりに芸能活動の復活を果たしました。2015年1月には、シングル「Rojo -Tierra-」、カバーアルバム『歌姫4 -My Eggs Benedict-』をリリース。

2018年以降、テレビ番組などメディア出演を全てセーブしており、公の場へ姿を全く見せていません。先日、本人と思われるツイッターが開設されましたが、どうか心身ともに無理の無きよう自分の納得行く環境で活躍できると良いですね。

 松田聖子さんとは、何もかもが対極に位置する存在だったでしょうか。聖子さんがぶりっ子と言われたり、ファンタジーの世界から来た太陽のようなアイドルであったとすると、明菜さんは、山口百恵さんを彷彿させるツッパ→都会の大人の女性のロストラブを歌う歌手。シンガーアクトレスと呼ばれ、様々なタイプを歌いこなす。陰があり、月のような存在でしょうか。

 ただ、1989年以降、陰を通り越して、悲恋やトラブルにより、ちょっと不幸に行ってしまった感もありました。この停滞が無かったら、結婚、引退して、家庭に入っていたのか、そうでなくとも、歌謡界の大御所的ポジションにいたのか…。デビュー40周年。本人が全くメディアに出なくなって久しく、本人がどう思っているのかは、分かりませんが、幸せな日々を送っていると良いですね。当時を知らない若者にも、その存在感から人気を集めているようですね。何度か放送された過去のライブも高視聴率だったようですし。僕は初めて自分のお小遣いで買ったシングルレコードが明菜さんの『飾りじゃないのよ涙は』でした。アルバムレコードは『BEST』。CDは『BESTⅡ』でした。世代的に松田聖子さんが結婚して、明菜さんが頂点に立っている頃にレコード買い始めました。だから影響は計り知れないです。





中森明菜 - スローモーション: https://youtu.be/BhSUJAMueeY




























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