1995年6月21日発売。31枚目のシングル。オリコン週間15位。

 1995年7月21日発売のスタジオ・アルバム『la alteración』からの先行シングル。

 ボーカルとアレンジをアルバム用に新録したこの楽曲のアルバム・バージョンが、スタジオ・アルバム『la alteración』に収録されている。明菜さんはこの楽曲について、「このところ静かめの曲が多かったので、夏に向けてノリノリに歌ってみたいなと思って。中森らしいなと言ってもらえるとうれしいですけど」とコメントしています。この楽曲はミュージック・ビデオも制作され、2008年2月リリースの中森のベスト・アルバム『歌姫伝説 〜90's BEST〜』に収録されました。

 「原始、女は太陽だった」について、『MUSIC GUIDE』のたてやまノブヨさんは「夏色に満ちたネオ・ファンカ・ラティーナのサウンドに、彼女の本領発揮ともいえるしなやかでダイナミックなヴォーカルが泳ぐように突き進んでくるハイ・テンションなラテン系アップ・ナンバー。」と批評しました。『ザテレビジョン』では、本曲はポジティブに生きる女性を歌っており、楽曲の音楽性については、「ストリングス」、「アコーディオン」、「エレキ・ヴァイオリン」などを採り入れた「無国籍サウンド」と指摘しています。また、この楽曲のジャンルについて『WHAT's IN?』の音楽評論家の石井理恵子さんと『MUSIC GUIDE』のたてやまさんは、「ファンカ・ラティーナ」、「ネオ・ファンカ・ラティーナ」とそれぞれ指摘しました。

 この曲のタイトルは、女性解放運動の先駆者として知られる作家、平塚らいてうの雑誌『青鞜』の出発にあたって、創刊号(一九一一・明治四十四年九月発行)に寄せた発刊の辞の題名から来ていると思われますが、中森明菜さんの生き方を象徴したような歌詞だなと思います。

 1995年といえば、小室哲哉さんプロデュースの機械的なサウンドで、高音を出す女性歌手が全盛で、この曲はそれと逆を行く無国籍サウンドでした。そして、どちらかと言えば、低音から中高音を得意として表現力で歌う明菜さんにとっては逆風だったのかもしれませんね。翌年、小室さんの作曲でシングルを出しますが、結果的にセールス的には伸びなかったし。

 中森明菜さんが注目されている今、90年代の楽曲達にもスポットが当たると良いですが、80年代に放った、それこそ太陽のような光が強すぎるため、それは難しいのかな。

 この曲収録の『アルテラシオン』改めて聴いてます。最近、低価格で再発されたので。ちょっと80年代より声が荒れているなと感じつつ、それさえも味になるというか、表現力に変えてしまっているように思います。


 

  

 



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