https://youtu.be/ryutpbPwrz4


 1972年1月21日発売。オリコン週間3位。

 それまでいわゆるアンダー・グラウンドの音楽と考えられていたフォークをメジャー・シーンに押し上げた楽曲で、"J-POPの原点"とも評されます。この年2月に発生したあさま山荘事件の頃から全国的にヒットしはじめ、春の訪れとともに順位を挙げて3月にオリコンチャート3位を記録し、40万枚以上を売る大ヒットとなりました。 

 歌詞そのままに拓郎さんはこの年6月に長野県軽井沢の「聖パウロ教会」で四角佳子さん結婚式を挙げました。この曲はそれまでのプロテストの意味あいが強かったフォークのイメージを一変させました。結婚は家と家との結びつきであるという考えがいまだ根強かった当時において「僕の髪が肩までのびたら結婚しよう」という男性の側からのプロポーズの描き方や、「春がペンキを肩にお花畑の中を散歩に来る」のようなカラフルな言葉づかいの歌詞は当時としては非常に斬新な内容で、手動式オルガン他を使ったアレンジ等、それまでのただギターをかき鳴らして自己主張を歌に託すフォークとは大きく異なっていました。また、通常用いられない「V - VIm - I」というカデンツに「結婚しようよ」との言葉を乗せる構成により、どこか現実味のない空虚な印象を与えます学園闘争の敗北や、アメリカのヒッピー文化、フラワームーブメントが、日本に飛び火した時代を反映したものであることも、インパクトを与える一因であったと言われます

さりげないラブソングの中に、既成の男らしさ女らしさのイメージを覆す歌詞。1960年代の恋愛結婚の普及を受け、付き合ったら結婚するというのが当然だった1970年代の時代を反映した歌でもありました。男が女と同じくらいの長髪にする...という行為は、ラブソングながら一つの時代のメッセージ性を漂わせていました。1980年以降は恋愛と結婚の分離、恋愛しても結婚しなくてもよい、恋愛は恋愛として楽しんでもかまわないという意識が普及していきます。大人を含む一般のリスナーは、男と女が同じ髪の長さになったら結婚する、という詞に驚き微笑ましく感じまさた。あれほど嫌われていた男の長髪がそれだけ一般に浸透し、受け入れられたということでもありました。一方で、反体制フォークを愛していたリスナーは、そのあっけらかんとしたプロポーズの歌詞に反発しました。しかし拓郎さんのこの歌はモノを売る側にとって新たな巨大消費者層“ニューファミリー”の出現を祝う歌でした。

後年拓郎さんはこの曲を「ヒットさせるつもりで作った」と述べています。拓郎さんはこの大ヒットで人気を得て“フォークのプリンス”などと騒がれ、若い女性らが会場を占拠しました。その人気ぶりはGSブームの再来のようだったと言われました。反体制のシンボルだったフォークが“若者のポップ・ミュージック”として一般的になるのは「結婚しようよ」の大ヒットからです。

 おそらく、反体制シンボルのフォークファンにはアンチも沢山いたでしょうね。逆を言うと、新しいことをして、熱狂的ファンも多く獲得した。それだけ多くの支持も得たということになりますね。

 井上陽水さんを聴いていたら、吉田拓郎さんも聴いてみたくなりました。

  

 

 

 


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