https://youtu.be/OmTJQVnNq5Y


 1990年4月4日発売。1枚目のシングル。

 フジテレビテレビアニメちびまる子ちゃん』第1期作の初代エンディングテーマ曲(1990年1月7日 - 1991年3月31日)であり、劇場版及び2000年11月8日 - 2009年12月27日2011年1月9日 - 2014年4月27日2022年1月30日はオープニングテーマ曲として使用されました。

オープニングテーマ起用時のエンディング映像では、B.B.クィーンズ自体が活動を停止したことや発売権の移行など諸々の理由で「主題歌」のクレジットでレーベル名が表記されていません。オリジナル版のオープニング使用期間は10年以上に及びますが、エンディング使用は比較的短期間でした。

1990年の第72回全国高等学校野球選手権大会では参加した49校中38校が応援歌として使用し、後に1991年の第63回選抜高等学校野球大会入場行進曲に選ばれるなど、高校野球の応援歌の定番のひとつとなります。

 当初、宣伝費をかけていなかったこともあり長戸大幸さんはこの曲の売れ行きを「良くて5万枚か10万枚くらい」と考えていました

オリコンシングルチャートでは、1990年6月18日付にてベスト10圏内に初登場、以降週間1位を7度獲得し、同年9月24日付にて100万枚を突破した。1990年のオリコン年間シングルチャートでは1位を記録。「全国歌謡ベストテン」では1990年8月4日から13週連続1位を記録した(ただし年間チャートではこの年の7月までの集計であった関係か、13位に終わりました)。累計売上は164.4万枚(オリコン調べ)または190万枚(公称)。

 1990年の第21回日本歌謡大賞放送音楽特別賞、第32回日本レコード大賞ポップス・ロック部門を受賞。1990年度のオリコン主催「日本レコードセールス大賞」のシングル部門大賞はB.B.クイーンズ、作詞賞はさくらももこさん、作曲賞・編曲賞は織田哲郎さんと『おどるポンポコリン』がらみが独占しました。

 この1990年頃はCDプレーヤーの普及に伴い、長く続いた日本におけるシングル売上低迷期からようやく脱出した時期であったことと、1989年末からの牛若丸三郎太の「勇気のしるし」、オヨネーズの「麦畑」、鷲尾いさ子と鉄骨娘の「鉄骨娘」などといったコミックソング(ナンセンスソング)のブームがありました。「おどるポンポコリン」の特大ヒットは、そのような流れにタイミングよく乗った結果であるといわれています

 メインボーカルの坪倉唯子さんの声を早回しして、少女のような声にしていますソウルブルースの要素を取り入れたのが特徴。Aメロの半分をカム・アンド・ゲット・ユア・ラヴから引用しています。当初は栗林誠一郎さんがリードボーカルの予定でしたが、収録の日に栗林が海外に行っていたため、坪倉さんがリードボーカルを担当することになったという経緯があります。

 ひょっとして、アニソンをビッグビジネスにできるとビーイングはもうこの頃から気づいていたのかもしれませんね。その後の戦略から考えると。


 『サザエさん』も永くやってますが、ちびまる子ちゃん』もこんなに永く続くとは、番組開始当初はそこまで意識していませんでした。僕、15歳だったから、もう30年以上か~。『笑点』→『ちびまる子ちゃん』→『サザエさん』もうこの流れが当たり前になりすぎてます。

 TARAKOさんの訃報、びっくりしました。鳥山明さんの訃報でまだ心が落ち着いていない所に。

 しばらくは録り終えているストックや過去のものを使っていくのかもしれませんが、まる子は主役ですからね。クレヨンしんちゃんの野原しんのすけは似てるけどまだどこか違和感があります。ドラえもんは声優総入れ替えでイメージを一新しました。かなり批判も浴びただろうけど、今は受け入れられていますね。どういう方法を取るのでしょうね。


    






 

 

 

 



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