1985年から日本の音楽界で初めてとなる完全なR&Bを披露し、R&Bを日本国内に認知させました。1998年以降に宇多田ヒカルさん、MISIA、平井堅さん、UAなどの音楽が日本で流行する下地を作りました。昭和歌謡から逸脱したJ-POPというスタイルの登場にも寄与しています。
1985年 アマチュアながら音楽業界の注目を浴び、TBSラジオ「SURF&SNOW」のサウンドステッカー制作を担当。田原俊彦さんのシングル曲「華麗なる賭け」、「It's BAD」、岩崎宏美さんのシングル曲「月光」を作曲。この頃に趣味で「すごいぞ!テープ」を作りましか。
1986年6月21日 シングル「失意のダウンタウン」でメジャーデビュー。9月にはファーストアルバム『SHAKE IT PARADISE』、12月にはセカンドシングル「TIMEシャワーに射たれて」をリリース。
1987年 4枚目のシングル「CRY ON YOUR SMILE」でシングルチャート最高8位を記録し、ブレイク。
1988年 5枚目のシングル「You Were Mine」がフジテレビ系ドラマ(月9枠)「君の瞳をタイホする!」の主題歌となります。TBS「ザ・ベストテン」にも、(VTR出演ではありましたが)初登場。オリコン年間ランキングにおいて1988年度第10位となります。
1989年 1枚目のベスト・アルバム『the BADDEST』が、シングル・アルバム通じて初のミリオンセラー。
1990年「第41回NHK紅白歌合戦」に初出場(アリスンウイリアムズとデュエットで)
1991年 ナイジェリアで開催されたイヴェント〈The Children Of Africa Concert〉に出演し、ジミー・クリフの「MANY RIVERS TO CROSS」と、オリジナル曲「MAMA UDONGO」を披露。
1992年 キティミュージックからFUNKY JAMに移籍。1993年 日本における11枚目のシングル「夢 with You」がフジテレビ系ドラマ(水曜劇場枠)「チャンス!」の主題歌となる。本人も最終回にちょい役で出演。年末、ニューヨークに拠点を移します。1994年 日本ハム「シャウエッセン」のCMに出演。以後、1999年まで続きます。
1995年「Toshi Kubota」として全米デビュー。
1996年6月21日、メジャーデビュー10周年。ナオミ・キャンベルとデュエットした「LA・LA・LA LOVE SONG」が、フジテレビ系ドラマ(月9枠)「ロングバケーション」の主題歌となり、ミリオンセラーを記録。ちなみに、当該曲の「LA・LA・LA」は久保田さんの出身地の方言の語尾に使われる「~ら」から取ったとのこと。また、作詞をしている時に、歌詞が浮かばずに浮かんだのが、「LA LA LA」と書いたともいわれています。
1998年 日本における20枚目のシングル「AHHHHH!」が発売。日本テレビ系「進ぬ!電波少年」での「朋友(パンヤオ)」の応援歌として作られたもの。2004年11月上旬に米国のテレビ番組『ソウル・トレイン』に出演。日本人アーティストとしてはYMOに次いで2番目。ソロアーティストとしては初出演となりました。
2010年6月には「LOVE RAIN 〜恋の雨〜」が、みたびフジテレビドラマ(月9枠)主題歌となり(「月の恋人〜Moon Lovers〜」木村拓哉さん主演)、自身14年ぶりにオリコントップ3入りを果たしました。
ヴォーカルスタイル、リズム感、ソングライティングなどの部分でブラックミュージックに大きく影響を受け、またそれを自身の音楽性の基盤とし、さらにセールス的にも大成功を収めたのは、彼以前にはいなかったと言っても過言ではなく、そのことから彼自身は「ブラック・ミュージックのパイオニア」とも称されていますね。久保田利伸さんがいなかったら、日本の音楽シーン違ったものになってしまっていたのでしょうね。本当に日本人離れしていますね。