https://youtu.be/LKEWlU4rkxc


 1993年6月21日に発売。2枚目のシングル。オリコン週間15位。

 ブリストル・マイヤーズ スクイブ(現・ファイントゥデイ資生堂)『シーブリーズ '93』CMソング(TRFメンバーが出演)。

デモテープを聞かされた際、SAMを始めとするダンサーは「こんなBPMの速い曲で踊るのは無理です」と話していました

歌詞のテーマは小室さん曰く「当時日陰の存在だったダンサーへのエール」。小室さんは一般性と最先端を両立させるための構造としてまず『EZ DO DANCE』という意味はないが語感の良い単語の羅列を作り、サビはJ-POPでよく使われるコードを使いました。しかし、イントロからサビ前はジュリアナ東京ダンスミュージックのコードを使用しています。数個のコードしか作っていないが別個の特徴を持たせました。「もし同じコード進行だと扱いが難しくなっていただろう」「『EZ DO DANCE』のコード進行を真似すると、どの曲も『EZ DO DANCE』に聞こえてしまう。それ程のオリジナリティがある」と話しています

小室さんが同曲を制作する際、「リズム主導で、ボーカルも楽器として引いた目で見ていた。カラオケ好きの人の心をあまりそそらないかも」「当時のヒット曲が『いきなりイントロからあらゆる音が鳴ってる』傾向へのささやかな抵抗として、トラック数を減らした」「『カラオケにはメンバーを映像に出したい』とプロデューサーとして提案しました。それが認められた時『初めて自分のやりたいような制作とプロモーションができた』と霧が晴れた思いで、プロデューサーとして深い自信になった」「当時ブームだった“カラオケ”と“お酒を飲んだ後のほろ酔い”と意識して制作した」と語っています。

ラップパートはDJ KOOの作詞であり、レコーディングの際に急遽その場で書き殴った(作詞した)ものだったため公式の歌詞が存在していなかったのですが、自身のYouTubeチャンネルで、ネットで出回っていた非公式のラップパート歌詞を公式(本人曰く、KOO式)として認定しました。PV制作にあたっては予算が少なかったため、策として「衣装は全て109で賄う」「YU-KI以外のメンバーは全員シルエットで出演」という二つのルールを徹底(DJ KOOに至っては「どのパートに出演したか覚えていない」と語りましたが2021年2月配信の自らのyoutubeチャンネルでSAMと共にPVに出演していないことを公言しました)

 オリコン最高位は15位だったのですがBEST100に約1年間ランクインするという異例のロングセラーで最終的には約79万枚のセールスを記録しました。

第35回日本レコード大賞ミュージックビデオ賞を受賞。

 このPV、発売された頃、ボーリング場等のジュークボックスで大量に流されてました。

 小室哲哉さんは、TMNを終了してまでも、trfのプロデュースに専念したかったらしいですね。ヴォーカリスト、ダンサー、DJという世界にもあまりない編成でした。

 ただ、ここで、ダンスに舵を切ってしまったのが運命の分かれ道で、もっと映画音楽とかに力を入れていたら、坂本龍一さんみたいになれたかもしれませんね。『EZ DO DANCE』を初めて聴いた時、TM NETWORKとはまた違った衝撃でした。

 

『歌える!J-POP黄金のベストアルバム 30M』でもうひとつ面白い共演がありました。

trfのDJ KOOさんとZOOの楽曲を作った中西圭三さん。trfのYU-KIさんって元々ZOOにいたんですよね。ブラックミュージックとレイヴで毛色は違いましたが、trfが現れた時、ZOOみたいだと思ったの思い出しました。そういえば、ZOOとtrf、入れかわるようにtrfが売れ始めたようにも思います。まだJ-POPに振り切っていないマニアックな香りもするのに新しい感じ。次第に小室さんから失われてしまう何かがこの曲にはあったような…。不思議な高揚感がある曲ですね。



 

 

 

 



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