https://youtu.be/51CH3dPaWXc


 1995年4月5日発売。11枚目のシングル。オリコン通算3週4位。

 CDシングルに収録された「ロビンソン」と「俺のすべて」は、いずれも1995年の初頭に東京都のグリーンバード杉並にてレコーディングされました(「ロビンソン」は1月17日)。制作段階でバンドはどちらをA面にするかは決めておらず、「俺のすべて」から先にリハーサルに取り掛かっています。最終的に「ロビンソン」が1曲目に選ばれたものの、作詞・作曲を担当した草野マサムネさんはこの曲の音楽性が「ポップすぎる」という印象を抱いており、シングルとして発表することにあまり乗り気ではなかったそうです

シングルの制作中、草野さんは「ロビンソン」を“いつものスピッツの、地味な曲”と感じ、バンドの他のメンバーや共同プロデューサーの笹路正徳さんにもそう話していたそうです。フジテレビ系列で放送されていた夕方のバラエティ番組のテーマ曲として発売時に1か月オンエアされたことを除けば、この楽曲のための表立ったプロモーション活動はほとんど行われませんでした。それにもかかわらず、この楽曲は1995年の初夏にスリーパー・ヒットを記録することとなります。この楽曲が思いがけず大衆的な支持を集めたことについて、草野さんは2007年に出版されたグループの回顧録『旅の途中』の中で「人気テレビ番組やCMのタイアップではないし、テレビによく出ていたわけでもないのに、なぜあの曲がこんなに長く売れているのか、と当時抱いた疑問の答えはいまでもわからない」と明かしています。

 曲名は、作曲者の草野さんがタイを旅行した際に印象に残っていたというロビンソン百貨店から命名されたもので、制作時の仮タイトルだったものがそのまま正式名称に採用されましたが、楽曲そのものとは関連性はなく、歌詞中にも「ロビンソン」というフレーズは一切登場しません

 "地味な曲だし売れないだろう"という制作者の予想に反して、「ロビンソン」は発売と同時に商業的な成果を成し遂げました。CDシングルはリリースの翌週に発表されたオリコン週間チャートにおいて9位に初登場し、バンドに初めてのトップ10ヒットをもたらしました。その後数カ月にわたってトップ10の周辺にランクインし続け、週間チャート上では最高4位ながら、最終的な売り上げは160万枚を突破しました

 オリコンの歴史上、トップ3に入らなかった曲の中で最も売れた作品という記録を持っています。

 これは、二十歳の時です。寮生活で「スピッツ良いよ」という口コミが広がり、程なくして、「ロビンソン」が大ヒットしたということがありました。Mr.Childrenと双璧をなす二大人気バンドでした。1995年ってミリオンセラーが異常に出た年なんですよね。上位28曲がミリオンというちょっと異様な状況でした。世間は不景気なのに。


 個人的にスピッツって歌詞から「死(あの世)と生(この世)の境目」のようなものを感じるような気がします。草野マサムネさんの突き抜けるハイトーンながら、どこか優しく爽やかな声のため、おどろおどろしい雰囲気が皆無ですが、歌う人が違ったら、全然別の曲になってしまうのではないかとちょくちょく思います。

 

  

 



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