https://youtu.be/vwPG2K_Pk7M
1994年11月16日発売。3枚目のシングル。オリコン週間45位。
佐久間正英さんをプロデューサーに迎えた3作目のシングル。このシングル以降佐久間さんは亡くなる直前の2013年まで専属プロデューサーを務めました。GLAYのインディーズ時代後期の頃の曲で、1993年夏~秋頃に集中して作った曲。同時期には「真夏の扉」、「Freeze My Love」などがあります。
GLAY初のノンタイアップシングル。本来カメリアダイヤモンドのCM曲となることを意図して書かれた曲でしたが、採用されませんでした。この曲をリリースする前、TAKUROは、「俺の好きなバンドは、みんな3枚目のシングルでブレイクしているんだ。これが勝負曲だよ。」と意気込んでいましたが、最高順位が45位と、MEN'S 5の「“ヘーコキ”ましたね」よりもオリコンの順位が低かったため、メンバー会議が行われました。その後TAKUROは「いつかこの曲を100万人に聞かせてやる」という野望を抱き、ベストアルバム『REVIEW-BEST OF GLAY』では真っ先にこの曲を選曲したと語ります。2013年現在、GLAYのシングルでは順位・累計売上共に最も低い(ただし、「天使のわけまえ/ピーク果てしなく ソウル限りなく」の地方盤を除く)。なお、2曲共、このシングルに収録されているドラムはJIROが学生時代に大好きだったバンド“DEAD END”の元ドラマー湊雅史さんが担当しています。