3枚目のシングル1988年3月9日発売。オリコン5週連続1位。ザ・ベストテン7週連続1位。オリコン1988年度年間1位。

 シングルでは光GENJIの最大のヒット曲EPレコード8cmCDシングルカセットのフォーマットで同時発売された。発売当時、あまりの人気のためほとんどの店でレコードが入荷と同時に売り切れてしまい、新聞紙上にお詫びの広告が掲載されたほどでした。シングルの売上(出荷)枚数は公称で100万枚

デビュー曲「STAR LIGHT、2ndシングル「ガラスの十代」に続き、ASKAが“飛鳥涼”の名義で作詞・作曲を担当しました。発売週の初動売上は、オリコン集計でおよそ30万枚、当時歴代1位の記録となりました。同年のオリコン年間シングルチャートでは1位を記録し、更に2位・3位も光GENJIの曲となりました。これは、1978年のピンク・レディー以来2組目となる、オリコン年間シングルチャートTOP3の独占でした。また7位にも「の舞」がチャートイン。

歌番組では、労働基準法により出演できない年下2人(赤坂晃さん佐藤敦啓さん)を除いた5人で披露する機会が多くありました。この状態は次のシングル「Diamondハリケーン」まで続きました。

1988年12月31日には第30回日本レコード大賞を受賞。同日放送の第39回NHK紅白歌合戦では、「光GENJI'88メドレー」のうちの1曲として歌唱されました。また、TBS音楽番組ザ・ベストテン』及び日本テレビ音楽番組歌のトップテン』の年間チャートでは、2位となった。翌1989年には、第61回選抜高等学校野球大会入場行進曲に採用されました。シングル発売から30年以上経過した現在でも「ガラスの十代」と共に、高校野球応援ソングとして、定番の曲となっています。歌詞に出てくる「しゃかりきコロンブス」は、「しゃかりきになって探したって、コロンブスさえも発見することができない夢の島(子供の場所)」を表現したもの

 本当に社会現象でした。飛鳥涼さんの最初の3枚って凄く神がかっていたように思います。

前年はあれでしたけど、この年のレコード大賞は納得でした。




長年「ヒーロー」扱いされてきたコロンブス。近年は侵略者や奴隷商人としての側面が知られ、問題視されるようになっています。英雄扱いされている偉人も、もしかしたら、解釈によっては侵略者かもしれませんね。





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