https://youtu.be/HofjT6LnODU


 33枚目のシングルとして、1996年8月7日発売。オリコン週間14位。

 1997年3月発売のスタジオ・アルバムSHAKER』からの先行シングルとして、1996年8月7日にCDシングルで発売されました

 本曲は、小室哲哉さんの作曲と編曲に、THE ALFEE高見沢俊彦さんが作詞を手掛けました。また、前作「Tokyo Rose」のブライアン・セッツァープロデュースに続き、本曲は、小室プロデュースによるシングル作品となりました。小室さんとは、スタジオ・アルバムUNBALANCE+BALANCE収録楽曲の「愛撫」以来の楽曲提供で、この「愛撫」は、1995年12月に開催されたのアンケートで、ファンの聴きたい楽曲の1位にランクされていました。この「愛撫」の人気を受け、小室さんによって自身の新たな一面を引き出してくれることを期し、1996年5月に小室さんに楽曲制作を依頼したそうです。その後、翌月の1996年6月に、この楽曲のレコーディングが行われました

 本作をリードシングルとした小室さんのトータルプロデュースによる明菜さんのオリジナルアルバム制作の企画が立てられ、1996年10月下旬の発売が予定されていましたが、実現しませんでした。これ、実現したら、面白かったかもしれませんね。

 この頃は、積極的にメディアにも出演していたし、レコード会社としても、松田聖子さんの 『あなたに逢いたくて〜Missing You〜』のミリオンヒットに対抗すべく、小室哲哉さんに託した気合いの入った曲だったと思うのですが、11.2万枚と平凡で、『小室哲哉でもダメか』とゴシップ紙で叩かれていたと記憶しています。

 よくよく考えてみたら、この曲に小室哲哉さんで言う、『Get Wild』や『恋しさと せつなさと 心強さと』、中森明菜さんでいう『DESIRE』や『飾りじゃないのよ涙は』みたいなキャッチーさがあるかと言えば、そうでもありませんね。それに小室哲哉さんは、個性の乏しいB級アイドルや、ダンスミュージックという下地がある人のプロデュースは得意だったのかもしれませんが、中森明菜さんの場合は、80年代を代表する、個性の完成された歌手であったため、合わなかったのかも。強力なタイアップでも付いていたら、ちょっと違っていたのかもですが…ifばかりですが。

個性がぶつかりあって、良い化学反応が起きることもありますが、個人的には「愛撫」に比べて感動が少なかったのは確かです。凡庸になってしまったというか。



 


 

  

 



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