https://youtu.be/Ot_gOzJ7mNk


 1987年8月19日発売。ザ・ベストテン6週連続1位。オリコンシングルチャート初登場1位を獲得した光GENJIのデビュー曲。当時、人気絶頂だったアイドルグループ、おニャン子クラブのラストシングル「ウェディングドレスが同じ週に発売されたのですが、それを抑えての快挙でした。同チャートでデビューシングルが初登場1位を獲得するのはジャニーズ事務所所属者としては近藤真彦さん少年隊以来3組目。

チャゲ&飛鳥が光GENJIに提供した最初のシングル曲。のちに3部作と呼ばれる一連の第1作目となる楽曲。おニャン子クラブ最後のシングル『ウェディングドレス』が何故、2位だったのか。彼らが上回ったんですね。

当時、コンピュータによるレコーディング技術が導入され、楽曲提供者であるASKAさん自身もレコーディング作業を習得していました。そのことを知ったジャニー喜多川さんはスタッフらと協議して「これからデビューさせるグループをシンガーソングライターに任せよう」と方針を固め、ジャニー自らが楽曲制作を依頼。その際、ASKAさんから出された「自分たちにも冒険。楽曲の良さとは関係ない売れ方をするかも知れない。3曲はやらせて欲しい。」との条件を承諾したそうです。デビュー曲となった本作、「ガラスの十代」、「パラダイス銀河」と、およそ半年の間に3曲を発表。それら全てがオリコンチャート初登場1位を獲得し、光GENJIは一躍トップアイドルとなりました

シングルの売上(出荷)枚数は公称で85万枚。

 ポップなAメロとBメロ前半をCHAGEさん、Bメロ後半の歌詞「カッコ悪いと思わない」の箇所からサビとCメロを飛鳥涼さん(現:ASKAさん)がそれぞれ作曲。アルバム『光GENJI』に収録されているバージョンは飛鳥涼さんによって新たに歌詞とメロディが追加されています。

光GENJIのキャッチフレーズは「超新星から送られたメッセージ。ローラースケートを履いて踊り、バック転などもこなすアクロバティックなパフォーマンスがうけ、デビューしてすぐに人気が上昇。爆発的なブームを生み、「最後のスーパーアイドル」と呼ばれ、その人気は経済誌などでも社会現象として取り上げられました。最初、センターには佐藤敦啓君がいたと思うんですが、もう、その頃から、諸星君のオーラが出まくってました。そういえば後年、確かに諸星君が「あれは佐藤敦啓のために作られたグループだった」と言ってました。本当に物凄い人気でしたよ。歌番組の翌朝はクラスの女子達の話題は光GENJI一色。ただ、短い期間でしたが。

 ASKAさん、本当に良い曲書きますね。最初の三部作は神がかってます。でも、デビュー曲はチャゲアスで歌った『ラプソディ』を用意して、ボツになったようですね。タイトルは『ダンス』だったとか。

 

 今、テレビで、佐藤アツヒロ君がかつてのメンバーひとりひとりの元を訪ねるという企画をやっているようですが、再結成するのでしょうか?男闘呼組はうまくいったけど。

 

  

 



NO MUSIC&SONG, NO LIFE - にほんブログ村