4枚目のシングル。1985年1月21日発売。

 2枚目のアルバム『回帰線』(1985年)からの先行シングルであり、尾崎さんとしては初の12インチシングルとなりました。尾崎さんの同級生の体験をもとに歌詞が制作され、最後にサビがリフレインしながら異なる展開に発展するなど既存の楽曲の形式を破った曲であるとも言われています

オリコンチャートでは最高位20位となり、尾崎さんの作品として初のランキング入りを果たしました。この曲のヒットにより尾崎さんは反抗する10代の象徴的な存在となりました。リリース当時は歌詞中の過激な表現に注目が集まり、実際に校舎の窓ガラスを割る行為などを行う若者が出現したことで問題作とされました。また尾崎さん自身は後にそのような影響について「罪の意識を感じる」と述べています

1984年頃よりライブにて演奏され、生涯全てのコンサートツアーにおいて演奏されました。

 本来は「学校を体制だと考えて、それに無謀に反発してる人たちへのアンチテーゼみたいな歌だった」のに、反抗する10代を代表するかのように誤解されたことは、凄く尾崎豊さんも、しんどかったかもしれませんね。『15の夜』もそう。まあ、歌というのは、リスナーの中でどう解釈しようが、自由なんですが。

 『卒業』しっかり聴いたのは、17歳の頃。皮肉なことに彼が亡くなった頃でした。今、あれから30年ほど経ってしまいましたが、あの頃はあんなに衝撃を受けたのに、仕組まれた社会の一部になってしまった自分は共感しにくくなってしまいました。時の流れを感じます。

 たらればはありませんが、彼が生きていたらどういう歌を歌っていたでしょう。

 

  

 



NO MUSIC&SONG, NO LIFE - にほんブログ村