https://youtu.be/XazyhnymUQo
「マツケンサンバII」は、松平健さんが歌う「マツケンサンバ」シリーズの2作目で、「マツケンサンバ」として広く一般に認識されています。
ラジオ番組『コサキンDEワァオ!』、『堀内健とビビる大木のオールナイトニッポン』、東海地方のZIP-FMでは落合健太郎さんが、「マツケンサンバI」と共に本楽曲を「イントロが非常に長い歌」として紹介され、同番組のリスナーにも人気を博していました。特に『コサキン』では、自主制作盤が発売された直後、1999年11月に早くもリスナーの投稿で紹介されました。
松平さんの後ろでは、腰元(腰元ダンサーズ)と町人風の衣装を着たダンサー達が乱舞します。
作詞はOSK日本歌劇団の座付き作家であった吉峯暁子、作曲・編曲は宮川彬良さん、ダンスの振付は真島茂樹さん、らがそれぞれ担当しました。1999年に現振付へ変更しましたが、1994年完成当初から数年は日舞の動きを元にした振付。
若者受けを意識し、クラブ風にミラーボールやラメを配したジャケット・デザイン。ミュージック・ビデオでの激しく踊る振付と派手な和服衣装が若者にも受け入れられ、2004年末から2006年まで大ブームとなりました。この曲がきっかけで一般的にフルネーム・松平健よりも「マツケン」と呼ばれる事が多くなりました。
2004年12月31日に『第55回NHK紅白歌合戦』へ初出場し、『第46回・輝く!日本レコード大賞』で特別賞を受賞。
『SMAP×SMAP』では、SMAP(当時)の香取慎吾さんがパロディ・キャラクター「カツケン」に扮し、『カツケンサンバ』という替え歌と踊りを披露。
2021年12月24日、テレビ朝日『ミュージックステーション ウルトラ SUPER LIVE 2021』番組内で披露される35年間のヒット曲メドレーで本楽曲振付の真島茂樹さん、42人のダンサーと共に「マツケンサンバII」でトリを務めました。
2021年12月31日に『第72回NHK紅白歌合戦』の特別枠で17年ぶりに紅白歌合戦へ出演しました。
ブームは海外にも伝えられ、2005年2月19日付ニューヨーク・タイムスで「アメリカ人にとってマツケンサンバは、西部劇の大スターであるジョン・ウェインがヴィレッジ・ピープル(1970年代後半に一世を風靡したアメリカのディスコグループ。ゲイファッションを連想させるコスプレ姿でパフォーマンスをした)のカウボーイの格好でコミカルなパフォーマンスをやるようなもの」と紹介されました。
アメリカメジャーリーグ・ドジャースの石井一久投手(当時)の2005年シーズンの入場曲に選ばれました。
東北放送のラジオ番組で、プロ野球・楽天の応援歌として『楽天サンバ』という替え歌が発表されました。
2004年7月7日、「マツケンサンバⅡ」「マツケンサンバI」「マツケンマンボ」「マツケンでGO!」(日産自動車のイメージソングで歌詞には日産の歴代車、セドリックやローレル、ブルーバードなどが入ります。日産CMバージョンは歌詞の一部が変更)の4曲に、小西康陽さんによる「マツケンサンバII」リミックス(READYMADE SHOGUN MIX 2004)を加え、ミュージック・ビデオDVDとの2枚組仕様でミニ・アルバム『マツケンサンバII』がジェネオンエンタテインメントから発売。
8月11日、マキシシングル『マツケンサンバII 〜オーレ!EP〜』(「マツケンマンボ」と「マツケンサンバII」の小西康陽リミックス)が発売。オリコンではミニ・アルバムと合算され売上が集計されましたが、プラネットではミニ・アルバムと別々に集計されました。
オリコンシングルチャート初登場17位、12月27日付で6位へ上昇して上昇と下降を繰り返したが、発売以来長期間にわたってチャート100位内をキープし続けました。プラネットではアルバムに分類されていた。2005年1月17日付オリコンシングルチャートで3位を記録。
タイトルが「サンバ」ながら音楽的には歌謡曲テイストで、『II』の歌い出しが「叩けボ〜ンゴ」ですが、サンバでボンゴは使用されない楽器であったり、正統的なサンバとして作られた曲ではありません。
イメージに合わないと嫌う人がいる半面、昨年の東京オリンピックで登場を熱望されたりしていたのは記憶に新しいですね。コロナ禍で自粛ムードが漂う中、明るいニュースであり、日本はまだまだ平和なのだと安堵しました。僕も「暴れん坊将軍」の上様のイメージがあって、最初はなかなか受け入れがたいものがありましたが、慣れてきました。ちょうど大地真央さんと離婚した後くらいにヒットして、テレビを観て唖然としたのを覚えてます。なんか、凄いはっちゃけてしまったなあと。