この内容は、
私がセッションをしている中で
感じていることです。
毒親育ちの方は、
「愛とは何か?」を学ぶという
共通の課題を持っています。
毒親育ち(機能不全家庭)は、
親が愛を与える状態ではなく、
「無条件に愛される」とか「与えられる」ということが
当たり前ではなかったはずです。
それゆえの生きづらさはあるのですが、
だからこそ「愛とは何ぞや?」とか
「与えるとはどういうことなのか?」ということを
意識的に学び、考えるようになるわけです。
今の社会って、
誰かの犠牲の上に成り立っていることって
まだまだ多いですからね…
自分の家系の「奪い合う」という
不幸の連鎖を止めるというお役目も、
もちろんあります。
しかしそれだけでなく、
社会においても分かち合いや与え合う精神を
教えていくお役目を持っているわけです。
一方、発達障害の方は、
「社会参加の難易度を下げる」
というお役目があります。
人間は、
他者とつながることで生きていける動物です。
でも今の社会は
一人の人に対して多くを求めすぎ!
特に社会参加(働くこと)について、
・マルチタスクをする
・即戦力である
・高い質の仕事をする
・一般社員でありながら経営者視点を持って
・たくさん意見を出すべし
・自己成長を積極的に
・ビジョンを持って
・家事も育児もこなしましょう
などなど…
「どんなスーパーマンをお求めで?」
と言いたくなるほど、
たくさんのことを求められますよね。
こんな社会が長く続くわけないですし、
こんな働き方では人が疲弊してしまいます。
しかし発達障害の方も
自然な形で参加できる社会であれば、
社会参加の仕方のバリエーションが増えます。
できることをピンポイントで行うのも良し、
マルチタスクで活躍するのも良し、
それぞれの持ち味を生かして
チームを編成するのも良し。
今まで以上に
自分の能力を活かしながら、
無理のない生き方・働き方ができるようになります。
「社会とつながる」「働く」ということの
固定観念をアップデートできるのが、
発達障害の方が輝く社会というわけ。
もちろんそれが実現するには、
試行錯誤が必要にはなります。
障害と名のつくものですので、
当事者や支援者の方のご苦労もあることは
重々承知です。
しかし
「今の社会の形が当たり前で、
自分はそこに合わせなければいけない」
と考えるからこそ障害となってしまう…
という見方もできます。
「自分を中心とした社会であるなら…?」
そんな風に想像してみることで、
あなたならではの持ち味や
人との関わり方を生み出せるかも知れませんよ?
いかがでしょうか。
様々な状況で
生きづらさを抱えている方も
多いことと思います。
しかしあなただからこそ、
社会をより良くする“何か”を
持っているとも言えます。
自分の良さやできることを1つでも多く見つけて、
「私だったら、どうするかな?」と
考えてみてくださいね!
自分の活かし方や
自然体で輝く場所を見つけるために…

