さあ、最終回。
まず、ずっと報告できなかった事。
3月の神戸の全日本選抜にて小学校4年生から続けてきたスケート選手を引退しました。
そして、お世話になった会社も今月20で退社、
8年間過ごした大阪を離れ新たな道に進む事を決めました。
2006年、大学4年間のオリンピックを目指した戦いを終え新たなステージに進むにあたり心機一転それまでのブログを閉じてここで書き始めた。
小学4年生の時、クラスメイトだった子に誘われてスケート教室に。
最初はフィギュアの靴だった。
その子は先に始めていた事もありすごく得意げに滑る姿、そして教えてもらったものの全然滑れない自分にイライラ。とにかく負けたくない!!!という思いで滑り始めた事を覚えている。
同学年が何人か居た中で、イチバン遅く始めたこともあり目標は周りに沢山居た。
あいつに勝つまでは、よし次はあいつに勝つまで、といった感じで完全に負けず嫌い精神のみでいつしか周りに追いついて気付けば一番長く現役を続けていた(笑)
なんだか昔から速かったと思ってくれてる方もいるみたいですが、
僕は大学1年までは並+αくらいの選手。
ジュニアの大会でも10位以内に入れない事も多々あり。
自分でも運動神経全くないと思うし、球技なんてやらせた日にはそりゃもう……
ちょっと速くなったのは大学に進学して、環境が大きく変わった時。
世界で戦う、オリンピックを目指す、メダルを取りに行く、
を本気で目指せる環境があった。
1年間、それまでの時間ベースで3倍、強度ベースで10倍くらいの練習の日々。
それこそホントにぶっ倒れるまで練習した結果ジュニアで優勝できるまでになり全日本級の大会でも決勝で滑る事が出来るようになり、世界ジュニアでは入賞する事もできた。
そして更にその上のステージが徐々にぼんやりした夢から目標として口に出せるように変わっていった。
ただ、それから上にレベルをあげるという事がホントの戦いであり、
厳しさ辛さが待っていたのだけれど。
大学4年間オリンピックに向かって…
といっても夢としてではなく、リアルな確かな目標として戦ったのは最後の1年のそれこそ最終選考の全日本選手権だったように思う。それまで1軍遠征には一度も行った事がなく、とてもそんなレベルになかったんだけど、最後の全日本選手権では総合3位に入り初めて1軍遠征で世界選手権の個人戦の舞台で滑った。
オリンピックに行けず世界選手権を滑る、初1軍遠征なんて言っても嬉しさも半分、なんとなく周りの選手もオリンピックという大きな舞台を終えての世界選手権だし…という何となくモヤモヤしたものが残る感じでそれが4年後のバンクーバーを確かな''目標''として本気で目指すモチベーションになった。
このブログを綴り始めた頃はあえてスケートの話題には触れないようにしてきた。
あくまでも4年後を目指す’スケート以外’の日々を綴る場として。
でも実際スケート以外の時間っていっても、なんやかんやスケート漬けなんですよ。
例えば趣味の釣りにしても、厳しい自然との対話の中で集中力のトレーニングだ!
とかMTのクルマに乗り換えた事にしても運動神経を鍛える為だ!とか。
そういう端から見たらあまり意味のないようなアホみたいな事だとしても
何でもやって、とにかく何でも試して、あれやっとけばよかった~
だとかいう後悔がない状態で一番大事な試合に臨みたいと本気で思っていた。
潔癖なんです僕。
潔癖といっても綺麗好きという意味ではなくて、全て自分の頭の中の予定調和の中で物事を運びたいクチという意味でね。
スケート、プライベート、実際はそこにボーダーなんてない。
そして結局''スケート選手のブログ''という副題をつける事にした。
2006年から実業団選手として、プロとしてアスリートとしての生活、最初の2年間は結果がでたりでなかったりで苦しみ。。。とにかく前半のワールドカップはいけるけど後半はダメで中国とか韓国とかアジアばっかり行ってたな。。。。。
そんな中でも、かな~り久しぶりの国内開催だった神戸ポートアイランドでのワールドカップはとても印象に残っている。
個人成績としては最高位の1500M4位に入ったという事もあるけど、よくサッカーでホームとアウェーで勝率が違うとかいう意味がわからなかったんだけど、その時初めてホームのチカラがどれほどパフォーマンスにプラスの影響を齎すかを感じていた。明らかに普段の自分のチカラ以上の'何か'を背中に感じながら滑る事ができた。
そんなこんなで2年間散々辛酸嘗めてようやく08-09シーズンから1軍定着。
オリンピック前にナショナルチームを組む事になり、08年から国内のトップ選手が集まって合宿する機会がかなり増えた。やっぱり、みんなそうだったけど見えるとこでライバルが練習してると競りあうようにどんどん練習強度が上がっていくもので。
氷上練習での先頭の奪い合いから、ラップを速すぎという意味で守らないだったり、ウェイトの重さ、フォームの低さ、自主トレの時間からそれこそオフにやるギャンブルの勝ち負け、自分のクルマのカッコ良さまでね。
ああ、やっぱりこのレベルで戦ってる選手は表に出す出さないは別としてとにかく''負けず嫌いという才能''が長けてるからここに居る事ができてるんだなと改めて感じた。
そしていよいよバンクーバーまで1年となった2009年、
それはとにかく僕のスケートキャリアの中で最も濃く忘れられない1年だったと思う。
2009年の1月始まってすぐの山梨合宿から世界選手権の為ヨーロッパ海外遠征•東京JISSでの合宿×2ヶ月•北海道札幌合宿1ヶ月•アメリカソルトレーク合宿1ヶ月•長野岡谷合宿•全日本距離別•長野野辺山合宿•ワールドカップアジア遠征•長野合宿•カナダ合宿•ワールドカップオリンピック予選北米試合•長野合宿•全日本選手権バンクーバー最終選考会と…
年間の殆ど家をあけていて、トータルしても1ヶ月くらいしか家に居なかった。
もう家というか物置(笑)
PCの画面に08年のワールドカップで行ったバンクーバーのスケートリンクの写真に
栄光に近道無しの文字を刻み不断の努力を積み上げ。
でも それだけの努力を積み重ねても手にはいらないモノもある。
プライベートにしても、
結局たっぷり情熱の代償を払いそれも全ては夢のためと割り切ってきた。
とにかくいろんなものが纏められた時間だった。
世界選手権で表彰台にあがった。
苦しんだ結果がでて文句無しのレース展開で日本一にもなった。
怪我もして夢散ってどん底も味わった。
最高の瞬間も最悪の時も、
今まで重ねてきたものの全てがこの1年に収束され凝縮されている。
結局オリンピックで滑るという夢は夢のままで叶える事ができなかったけど、
燃え尽きる事ができたと思う。
選手としてここまでやれた事、本当に幸せです。
1人ではとてもとてもここまでやれなかった。
この場を借りてこれまで僕を支えて頂いた全ての人に感謝!
一言で言い表せるものではないですが最上級の気持ちを込めて、
4年間本当にありがとうございました!
道は変われどスケートを通じて得たこの気持ちを忘れず前に上に進んでいきます。
また新たな僕にとってのzionを探しに。
2010.5.29 角張文彦
Special Thanks :
父さん、母さん&all relative Family、 監督、アッコさん、Team HANNAN all Teammate&NさんKさん、先輩方&ナカヤマ先生、sanko,Jrのみんな、社長,専務,ナカモト課長(and all sanko corp.Employee、Guests)、ナカムラ先生、ザバスさん、u-zo、satoshi、fuji(08-09世界選手権リレーメンバー)、08-09-10JPN National team Member、58-59年同志兄弟、ニッタさん、カンノさん、Team Kawagoeのみんな、エダさん、オカムラさん、Hさん、シモサト、team埼玉のスケーターのみんな、T.ヒロキ、L•M•H•U Schoolの先生方、RBC、金田、アオヤマautoのおっちゃん、GOTOさん、スタディのエンドウさん、B4号、R53号、D:4、E50キャラバン、SEVサマ、zionを読んでくれた皆様、Colorado COの大地、Team木洞、PELOTON、シマダ先生、カシワギさん&salon de CHIEの皆さん、紗織
、応援して頂いた全ての方々、and all our friends.
まず、ずっと報告できなかった事。
3月の神戸の全日本選抜にて小学校4年生から続けてきたスケート選手を引退しました。
そして、お世話になった会社も今月20で退社、
8年間過ごした大阪を離れ新たな道に進む事を決めました。
2006年、大学4年間のオリンピックを目指した戦いを終え新たなステージに進むにあたり心機一転それまでのブログを閉じてここで書き始めた。
小学4年生の時、クラスメイトだった子に誘われてスケート教室に。
最初はフィギュアの靴だった。
その子は先に始めていた事もありすごく得意げに滑る姿、そして教えてもらったものの全然滑れない自分にイライラ。とにかく負けたくない!!!という思いで滑り始めた事を覚えている。
同学年が何人か居た中で、イチバン遅く始めたこともあり目標は周りに沢山居た。
あいつに勝つまでは、よし次はあいつに勝つまで、といった感じで完全に負けず嫌い精神のみでいつしか周りに追いついて気付けば一番長く現役を続けていた(笑)
なんだか昔から速かったと思ってくれてる方もいるみたいですが、
僕は大学1年までは並+αくらいの選手。
ジュニアの大会でも10位以内に入れない事も多々あり。
自分でも運動神経全くないと思うし、球技なんてやらせた日にはそりゃもう……
ちょっと速くなったのは大学に進学して、環境が大きく変わった時。
世界で戦う、オリンピックを目指す、メダルを取りに行く、
を本気で目指せる環境があった。
1年間、それまでの時間ベースで3倍、強度ベースで10倍くらいの練習の日々。
それこそホントにぶっ倒れるまで練習した結果ジュニアで優勝できるまでになり全日本級の大会でも決勝で滑る事が出来るようになり、世界ジュニアでは入賞する事もできた。
そして更にその上のステージが徐々にぼんやりした夢から目標として口に出せるように変わっていった。
ただ、それから上にレベルをあげるという事がホントの戦いであり、
厳しさ辛さが待っていたのだけれど。
大学4年間オリンピックに向かって…
といっても夢としてではなく、リアルな確かな目標として戦ったのは最後の1年のそれこそ最終選考の全日本選手権だったように思う。それまで1軍遠征には一度も行った事がなく、とてもそんなレベルになかったんだけど、最後の全日本選手権では総合3位に入り初めて1軍遠征で世界選手権の個人戦の舞台で滑った。
オリンピックに行けず世界選手権を滑る、初1軍遠征なんて言っても嬉しさも半分、なんとなく周りの選手もオリンピックという大きな舞台を終えての世界選手権だし…という何となくモヤモヤしたものが残る感じでそれが4年後のバンクーバーを確かな''目標''として本気で目指すモチベーションになった。
このブログを綴り始めた頃はあえてスケートの話題には触れないようにしてきた。
あくまでも4年後を目指す’スケート以外’の日々を綴る場として。
でも実際スケート以外の時間っていっても、なんやかんやスケート漬けなんですよ。
例えば趣味の釣りにしても、厳しい自然との対話の中で集中力のトレーニングだ!
とかMTのクルマに乗り換えた事にしても運動神経を鍛える為だ!とか。
そういう端から見たらあまり意味のないようなアホみたいな事だとしても
何でもやって、とにかく何でも試して、あれやっとけばよかった~
だとかいう後悔がない状態で一番大事な試合に臨みたいと本気で思っていた。
潔癖なんです僕。
潔癖といっても綺麗好きという意味ではなくて、全て自分の頭の中の予定調和の中で物事を運びたいクチという意味でね。
スケート、プライベート、実際はそこにボーダーなんてない。
そして結局''スケート選手のブログ''という副題をつける事にした。
2006年から実業団選手として、プロとしてアスリートとしての生活、最初の2年間は結果がでたりでなかったりで苦しみ。。。とにかく前半のワールドカップはいけるけど後半はダメで中国とか韓国とかアジアばっかり行ってたな。。。。。
そんな中でも、かな~り久しぶりの国内開催だった神戸ポートアイランドでのワールドカップはとても印象に残っている。
個人成績としては最高位の1500M4位に入ったという事もあるけど、よくサッカーでホームとアウェーで勝率が違うとかいう意味がわからなかったんだけど、その時初めてホームのチカラがどれほどパフォーマンスにプラスの影響を齎すかを感じていた。明らかに普段の自分のチカラ以上の'何か'を背中に感じながら滑る事ができた。
そんなこんなで2年間散々辛酸嘗めてようやく08-09シーズンから1軍定着。
オリンピック前にナショナルチームを組む事になり、08年から国内のトップ選手が集まって合宿する機会がかなり増えた。やっぱり、みんなそうだったけど見えるとこでライバルが練習してると競りあうようにどんどん練習強度が上がっていくもので。
氷上練習での先頭の奪い合いから、ラップを速すぎという意味で守らないだったり、ウェイトの重さ、フォームの低さ、自主トレの時間からそれこそオフにやるギャンブルの勝ち負け、自分のクルマのカッコ良さまでね。
ああ、やっぱりこのレベルで戦ってる選手は表に出す出さないは別としてとにかく''負けず嫌いという才能''が長けてるからここに居る事ができてるんだなと改めて感じた。
そしていよいよバンクーバーまで1年となった2009年、
それはとにかく僕のスケートキャリアの中で最も濃く忘れられない1年だったと思う。
2009年の1月始まってすぐの山梨合宿から世界選手権の為ヨーロッパ海外遠征•東京JISSでの合宿×2ヶ月•北海道札幌合宿1ヶ月•アメリカソルトレーク合宿1ヶ月•長野岡谷合宿•全日本距離別•長野野辺山合宿•ワールドカップアジア遠征•長野合宿•カナダ合宿•ワールドカップオリンピック予選北米試合•長野合宿•全日本選手権バンクーバー最終選考会と…
年間の殆ど家をあけていて、トータルしても1ヶ月くらいしか家に居なかった。
もう家というか物置(笑)
PCの画面に08年のワールドカップで行ったバンクーバーのスケートリンクの写真に
栄光に近道無しの文字を刻み不断の努力を積み上げ。
でも それだけの努力を積み重ねても手にはいらないモノもある。
プライベートにしても、
結局たっぷり情熱の代償を払いそれも全ては夢のためと割り切ってきた。
とにかくいろんなものが纏められた時間だった。
世界選手権で表彰台にあがった。
苦しんだ結果がでて文句無しのレース展開で日本一にもなった。
怪我もして夢散ってどん底も味わった。
最高の瞬間も最悪の時も、
今まで重ねてきたものの全てがこの1年に収束され凝縮されている。
結局オリンピックで滑るという夢は夢のままで叶える事ができなかったけど、
燃え尽きる事ができたと思う。
選手としてここまでやれた事、本当に幸せです。
1人ではとてもとてもここまでやれなかった。
この場を借りてこれまで僕を支えて頂いた全ての人に感謝!
一言で言い表せるものではないですが最上級の気持ちを込めて、
4年間本当にありがとうございました!
道は変われどスケートを通じて得たこの気持ちを忘れず前に上に進んでいきます。
また新たな僕にとってのzionを探しに。
2010.5.29 角張文彦
Special Thanks :
父さん、母さん&all relative Family、 監督、アッコさん、Team HANNAN all Teammate&NさんKさん、先輩方&ナカヤマ先生、sanko,Jrのみんな、社長,専務,ナカモト課長(and all sanko corp.Employee、Guests)、ナカムラ先生、ザバスさん、u-zo、satoshi、fuji(08-09世界選手権リレーメンバー)、08-09-10JPN National team Member、58-59年同志兄弟、ニッタさん、カンノさん、Team Kawagoeのみんな、エダさん、オカムラさん、Hさん、シモサト、team埼玉のスケーターのみんな、T.ヒロキ、L•M•H•U Schoolの先生方、RBC、金田、アオヤマautoのおっちゃん、GOTOさん、スタディのエンドウさん、B4号、R53号、D:4、E50キャラバン、SEVサマ、zionを読んでくれた皆様、Colorado COの大地、Team木洞、PELOTON、シマダ先生、カシワギさん&salon de CHIEの皆さん、紗織
、応援して頂いた全ての方々、and all our friends.



