よほど困った時の決断を「神頼み」とする方法をとるのってどのくらいの人がしているものなのだろうか?
ちょっと前にジラール・ペルゴのロレアートという時計が八角形で、今でも欲しいと思っているオイスターオクタゴンのようで、いつまでも気にかかっていました。
ただ、どうしても今人気になっていて、正規品新品購入も難しくて中古価格も高騰していたりと聞くと、手が出ません。
前のめりになっている状態では正しい判断ができないとはわかりますが、これ以上高騰してしまえばオイスターオクタゴンのようにいつまでたっても手に入らない時計になってしまう!!という焦りもあり早急の決断をしなければと感じている時、使うのが『天の神様の言うとおり的』な選択方法でした(^^;
僕は九州(佐賀)で育った頃は
”げげげのげ・柿の種・握り飯・魚の骨”
でした。
娘(四国愛媛)らは
”げげげのげ・柿の種・鉄砲撃ってバンバンバン!”
と言っております。
津々浦々で表現が違うので、方言に近いのかと思って調べましたらば、鉄砲撃って~は山形のような北国でも使われているとのこと…。近いエリアは共通しているという方言的な区分けができないという内容でした。
さて、直近の悩み事であったロレアートの購入の最終決断はというと。
”時計に生きる男”でありますので、僕の場合は天の神様の~ではなく、
決断は瞬間的に見るスマホやPC右下の時計の時刻の…。
YES(Go!)は奇数の下一桁「分」
NO(Stop!)は偶数の下一桁「分」
仕切り直しは下一桁0分
で、Yesがやや有利な環境での時の運まかせとしております。
そのため、不利な偶数の目だった場合は従うことが多いです。
自動巻きや手巻きが大好きな僕ですが、針がない時計でなければ困る事もあるんです(^^;
ジラール・ペルゴの歴史や時計造りの姿勢にはとても共感を持っておりますし、未練がないわけではありませんが、オリエントスターだと10本分位になるロレアートには多少のクールダウンができました。
このおまじないは神様の思し召しに近い心の安寧を得られるものでありましたので、これから年をとっても説明ができない変な決断方法を使っていくのかなぁと思います。