400回記事はこれをあてたく熟成させました(^^
寄港地とは何か?から説明をしますと、目的地までの航海の途中で立ち寄る場所のことをいいます。
そこでは船の補修や船員らの旅の疲れを癒したり、足りなくなった燃料や食料などを補充したり、目的地までに必要な力をためる場所でもありますが…
僕にとっては珍しく、最後に購入した時計から1カ月以上が経過しても次の時計を探す行為がおきなかったという時期がありました。
昔は”時計集めの熱が冷めていってるのか”と心配になっておりましたが、最近は”自分の判断基準がしっかりしてきたので、そのおめがねにかなう品物が出てこない”と落ち着いて過ごしております。
時計だけでなく、熱を入れてコレクションをしていた方々には当てはまることだと思いますが、こういう時って不安になりますよね。
僕が思うにこんな状態になるのは、ある程度目標に到達でき、その上に進む目標が見つからない場合(停滞している時)に多いのかなと。
目標まで到達できたのですから、趣味としては納得いくところまで進めたのだと思います。自分を褒めてもいいくらいですし、そこで終わりにしてもいいかと思います。
もうひとつが今までその趣味に費やした「膨大な」時間とお金を考えてしまう事なのでしょうが、そこには「喜び」や「幸せ・充実感」があったのですから、お金など(コスト)で換算するような、貴重な経験の価値を下げてしまうようなマイナス思考にはとらわれないでいてほしいです。
得たものがあったととらえてほしいです。
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1997~2000年頃の僕は、新しい曲が次々と生まれ出てくる中、(流行にも敏感だよ!というかっこつけがしたくて)カラオケで歌える新曲を探すことに熱心になり、かつて応援していた音楽に飽きてしまい、TMネットワーク時代からのアルバムなど集めたものをすべて捨てたことがあります。(1980年代からのものですので結構持っていました)
売ろうという選択肢がなかったのは、そのアイテムにお金になる価値なんてないと思っているほど気持ちが下がっていたからです。(メルカリもまだなく、周りの意見やニーズもわからない時代背景でした)
溢れ出てくる新曲を選ぶ事にも疲れてしまい、何よりそこまで熱心にアーティストの過去の曲まで聞いてみようなどという根っこの熱意も育っておらず、うんざりして音楽を聴く楽しさそのものを失い、歌を聴くことをしなくなりました。
しばらくは何も思い出すこともなく過ごしていましたが、不意に思い出すのですよね…。そんな時に後悔って必ずやってきます(^^;
アルバム・キャロルのCDは、挿入曲が一つの物語となっていて、ジャケットイラストもファンタジックに3人が描かれており、一番のお気に入りだったのでもったいないことをしたなぁと悔やんでおります。
かつての趣味とは、何かの拍子で再び熱が戻ってくるものだと思います。
それが充実感にあふれた過去の自分の気持ちをふと思い出したり、誰かの影響であったり、たまたま見た雑誌や掲示板であったりで、ちょっと運命的かなと思う部分が多いのかもしれません(^^
熱が冷めたからといって好きではなくなったというわけでもないので、焦らずそのまま休眠状態でもいいと思うようになりました。
もし趣味で目標を失いかけたら寄港地で力の補充をし、海図を広げて別の場所(寄港地)へ向けて出港しながら目的地を目指すのもこの長い人生ではアリなのかなと思います。
みなさんも心高ぶる(趣味の)旅を、のんびり楽しんでもらえるといいなぁ…
と、
そんな風に感じています。