9月某日
久々にブログがきっかけで親交を深めた時計仲間(彼)と会う機会があり、仕事の合間に合流しました。
コロナの影響もありお互いの行き来ができなくなったこともあって、前回から2年数カ月ぶりになります。
しかしそんな時間の経過を忘れてしまうような間柄に感じてしまっていて、例えるならばクラスメイトの親友と同窓会で会う時のような。
最後のあった時の話の続きが始まるくらい自然なものでした。
思えば最初にミルガウスについてのコメントを頂いたのがきっかけで、メッセージを繰り返すうち共通の時計がクロノタイムであったことからの付き合いなので4年とちょっと位になります。人脈が広い彼は、気さくに趣味の世界やその友人らへの仲介をして頂いたおかげで今のコアな時計マニアとして成長(?)するに至りました(^^;
趣味の腕時計の世界の門戸を広く開いてくれた存在と言えます。
普通に近況を報告したり、お馴染みの時計談話に花が咲いた50分でした。こういう楽しい時間というのはあっという間なんですよね。
そして聞かれた言葉の中でも心に残っているのが・・・
「時計の数を減らすことは考えていないのですか?」
なんです。
”一つ一つに思い入れや思い出がある時計ばかり”というのはお互い同じ価値観や考え方なので共通しています。しかし計画的に数を維持しながら好きな時計は増やしつつ、使わなくなった時計を下取りに出す上手な管理方法をされ、数歩先ゆく彼の様にできないのはなぜだろう?
子供に渡すためと言い訳をしながら多くの数を保有し続けることへの自己満足を捨てきれないからなのかな。
好きな時計を外部へ発信し続けるための愚かなまでのコレクターというステイタスを作りたいのかな。
古い時計、偽物時計、現行時計と探求心の裏側である節操のない執着心が強いからなのかな。
いろいろと原因を考えてみますが…。
多分、時計が楽しい!!という気持ちが落ちない汚れのようにあるみたいです(^^;
ネットフリマで偽物をつかまされても、
のちのち虚無感が残るだろうコピー時計やオマージュ時計を買っても、
オーバーホールにだしたら修復不能といわれてしまった”死んだアンティーク時計”をネットフリマで買ってしまっても、
悲喜こもごもありましたが不思議と時計が嫌いにならないんです。バカなのかも(^^;
深く考えず40代まではこのまま楽しみながら50代という次のステージで彼を目指したいなということにします。
数が少ないですが3たびの時計オフ会となりました。
次回は持っている時計をまた持参して、年を取って振り返ってみて”開いた口が塞がらないような面白い時計の写真”が撮れる日を楽しみにしつつ今を楽しみたいと思います(*^^*