スローモーション | スーパーラッキー☆さんのブログ

スローモーション













1982年(昭和57年)5月1日リリース



中森明菜 デビューシングル



B面 条件反射




作詞 作曲 来生えつこ 来生たかお



レコード売上 17.4万枚


オリコン最高順位 30位






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「スローモーション」は1982年7月1日発売のスタジオ・アルバム『プロローグ〈序幕〉』からの先行シングルとして、1982年5月1日にシングル・レコード (EP: L-1600)で発売された


中森にとってこの楽曲はデビュー・シングルにあたる。


この楽曲は、来生えつこ・来生たかお姉弟作詞・作曲で、船山基紀が編曲を手掛けた。


本作のレコーディングはロサンゼルスで行われた。自身にとって初のレコーディングであったが、「スローモーション」のレコーディングでは、どうしても「スローモションー」と歌ってしまい、ディレクターの島田雄三に複数回注意されてしまったと中森は明かしている。


「スローモーション」をリリースしてから3年後の1985年5月1日発売の映像作品『はじめまして 中森明菜』にて、本曲のレコーディング風景が収録された。ロスでのレコーディングより帰国直後、デビュー曲の選考作業に入った。


デビュー曲の候補としては、スタジオ・アルバム『プロローグ〈序幕〉』収録曲から本曲をはじめ、「銀河伝説」、「あなたのポートレート」、「Tシャツ・サンセット」の4曲が挙がっていた。これらの楽曲のテープを持ち各地のレコード会社の営業所を周った後、さらに中森は「若い子の意見も聞きたい」との理由から、母校である清瀬中学校に赴き、生徒にアンケートをとっている。

このクラスでは「Tシャツ・サンセット」が一番人気となり、次点が本曲「スローモーション」だったという。中森本人は「銀河伝説」が好きだったが、最終的には「スローモーション」がデビュー曲となった。


中森は次作「少女A」でTBS系音楽番組『ザ・ベストテン』に出演した際に(1982年9月23日放送)、「少女A」よりも「スローモーション」の方が好きですとのコメントを残している。


この楽曲をリリースして以降、複数のライブで本曲は歌われている。また、「スローモーション」は後の作品でも新録されており、1995年12月リリースのベスト・アルバム『true album akina 95 best』と、2002年12月リリースのベスト・アルバム『Akina Nakamori~歌姫ダブル・ディケイド』にそれぞれ収録された。


2010年には、中森をモチーフとしたパチンコ台『CR中森明菜・歌姫伝説~恋も二度目なら~』に本曲が新録された。


シングル盤「スローモーション」のB面として発表された「条件反射」は、中里綴の作詞と三室のぼるの作曲に、「スローモーション」に続いて船山が編曲を手掛けた楽曲である。この楽曲もスタジオ・アルバム『プロローグ〈序幕〉』からの先行シングルカットである。





wikipediaから抜粋




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このシリーズ第六回目にして、いよいよデビュー年の82年(S57年)にやってきました。



この年に中森明菜がリリースした楽曲数は3曲。

今回はその中でも『スローモーション』を取り上げてみました。


上のコピペでもあるように、デビュー曲である本曲のレコーディングが行われたのは海外。当時の事務所の方針なんでしょうが、一介のアイドルとしての新人としてはこの待遇は異例中の異例。なにか凄いバックボーンを持ってのデビューとかではなく、オーディションに合格しての(事務所スカウトでの)デビューですから、その期待の大きさが分かるかと思います。



デビュー月の5月というのは同期のシブがき隊と同月デビューなんですが、他の同期に比べるとやや遅い方でもあり、またこの年は、新人アイドルが豊作でもあった為、アイドルプロデュースが初となる明菜側の事務所としては、ヨソの事務所の後塵を廃する形となりました。

その為なのかどうなのか?事務所の力の入れようとは裏腹にメディア露出は同期アイドルと比べて段違いに少なく感じました。


当時の私としてはこれが非常に悔しく寂しかったことを覚えています。


この約半年前にそのオーディション番組で彼女を見て一発でファンになり、デビューを今か今かと待ち望んでいてやっと決まったデビューでしたから、ドンドン出てくる同期新人アイドルさん達が羨ましかったこともありました。


当時、レコード屋さんの店頭入り口にスローモーションのポスターを見つけたときには、「やっとあの子がデビューするんだ、今から毎日テレビで見れるんだ」と心底嬉しくなりました。

このポスターが欲しくて欲しくてたまらなかったなぁ。



『中森明菜』という名前は当時の私の感覚では非常に珍しかったんですけども、それでもそのオーディション番組終了後に「名前を忘れちゃいけない」と、机にハッキリと書いて(落書き)忘れないようにしたことも昨日の事のように思い出されます。




そして待望のデビュー。




しかしちょっと違ったんですよね。このデビュー曲と中森明菜の個人的イメージが。


私がイメージしていたのはバリバリのアイドルとしての“中森明菜”だったんですけど、この楽曲自体がどうとってもアイドルソングではないですよね?


今でこそ本曲は私の明菜ソングトップテンに入りますけど、当時は完全に肩透かしを喰らったような感じに思えました。


ランキング番組『ザ・ベストテン』にランクインに出来なかったのも今となっては納得です。



ご本人も言ってました。

「私が歌ってる間は全然ヒットしなかった」って。

今考えると方向性は間違っていなかったと言えますが、最初はアイドル“中森明菜”を期待していた人が多かったのでしょう。または華やかな同期デビューのアイドルさんたちの方に注目が集まったんでしょうね。


(当時の)私の中では大失敗に終わったデビュー曲。

しかし、このテレビに出なかった時に全国のデパート屋上でミカン箱に乗って唄ったり、握手会等をして少しずつ種を撒いた効果が、その後の大爆発へと繋がっていったことは否定出来ません。


その後の歴史を考えると、このデビュー曲が売れなくて正解だったかもとも思うことが出来ます。