今日もブログを見てくださってありがとうございます。
ちまちまと再開していく所存ですのでお忙しい方お付き合いよろしくお願いします。

昨日のブログで去年の4月に事故にあったことをお伝えしました。
事故にあったことは仕方ないし今更変えようがない事実なのですが、


実は「病院に行くこと」は事故の日の朝にメッセージが届けられていました。

正確には「見たことのない施設の内部に行く」という夢を僕はその日見ていました。


その施設がどこなのかまでは、朝は分からなかったのですが、
夜 事故に遭って病院に行ったら「あーそういえば今朝この風景見たっけ」
と思い出したのです。


多分このブログでも書いたことがあったと思うんですが、
僕は正夢を見ることができます。


「僕が見た正夢は必ず現実になる」という概念を持っています。

不可避です。必中です。
空に投げた石が地面に落ちてくるぐらい確実です。

では正夢かそうではない普通の夢かなんで分かるのか、と聞かれたら
直感で分かるとしか表現出来ないですし、なんとでもこじつけ出来るだろ
と言われたらそれまでなのですが、見れることは事実です。



この手の話をすると冗談半分に聞く人と「怖くないの?」と聞いてくる人と
「どうやったら見れるの?」と3パターンに分かれます。

怖くないの? と聞かれれば「見れることが自然だと思っているし別に怖くない」と答えます。

どうやったら見れるの? と聞かれれば
「正夢を見れることを疑わないこと 受け入れること」と答えます。

ただこれがどうにも難しいようで。というのも僕は「疑わない」と言いました。
「信じる」とは言っていません。

僕の中の表現の違いではあるのですが、「信じる」ということはどこかに「疑い」がある。
「疑い」を打ち消し否定するために相反するものを「信じている」のだと思っています。
絵の具で「疑い」の上に「信じる」を上塗りしているイメージですね。

だから「信じる」と言うと僕の中では少し弱い表現になります。

だから僕は「疑わない」といいます。

「疑わない」ということは疑いが全くない状態のことを指して言います。
疑いの色が見えないのですから出来て当たり前なんです。

これを読んでいる人だって呼吸をできていることを「疑っていない」はずです。
呼吸できることを信じている人はいないと思います。

ちょっとした表現の違いなんですけど結構な隔たりだと思っています。
一年ぶりにブログ書きます。事故に遭ってから脳の調子がおかしくて
どうにも調子が上がらなかったのですが、ようやく落ち着いてきたので
自己整理含めてブログ書いていくことにします。

まず2015年4月22日に交通事故に遭ったのですが、
事故直後はアドレナリン出しっぱなしのような状態でむしろ動けていました。
問題は1週間もしてから。
アドレナリンが止まり落ち着いてきた頃からどうにもテンションが上がらない状況に。

そこからしばらくの間体内時計は「4月22日」で停止。
5月になっても6月になっても7月になってもずーっと「4月22日」なんですね。

去年のこと何か覚えているか、と言われたらほとんど覚えていません。
事故に遭って怪我して直後に親知らず抜いたぐらいで、それ以外はほとんど何も。



それ以前の記憶も随分なくしました。ただ記憶をなくした自覚はないので、
どんな記憶をなくしているのかその時にならないと分からないという不便な状況になっています。

ちなみに。示談はまだ終わっていません。仕事の都合もあって結構長引いています。
怪我の治療に結構長引いていたというのもありますけど。


今でもまだ脳みそはブレブレで思考がまとまらなかったりやる気が起きなかったりしますけど、
それでも随分と改善してきました。

リハビリ兼ねてここでまたブログ書いていこうと思います。

インスタグラムというものをやってみようと思うのですよ。
ツイッターの画像専門みたいなやつですよね。

ツイッターも楽しいですけど、こっちはこっちで楽しめそうな気がします。

ただ気がかりな点が一つ。



僕、ガラケーなんですよ。


ガラケーに対応してるのかなあ・・・



それはさておいて。

タイトルにもあるとおり、車検なんですよ。

車検。車が生活に不可欠な地域に住んでいますので、
車検と自動車保険は必要不可欠なわけです。

で、その車検代。アブラカタブラの法則で出してみようと思います。

車検代多分8万から10万ぐらいでしょうから、
それだけポーンとアンタレス(FP)にお願いしてみようと思います。


アブラカタブラの法則に限らず、この手のお願い事で何かを出現させるコツは、


「出せることを疑わないこと」


だと思っています。

ただこの「疑わないこと」ということがなかなか難しい。

「信じる」ということとはまた別次元のことだと思っています。

そもそも「信じる」ということは基本的に「疑いの否定」であり、
「疑っていたことを否定出来た」から「信じれる」わけです。

「こうして、思考は現実になる」で最初の実験を「疑っていた」人も、
「実験によって疑いを否定した」から「信じる」に至っているはずです。

ただこの信じるというのは基本的に「疑い」が根底にあり、
その上に実験結果を元に「信じている」から、
「信じて」いながらも心のどこかで「疑っている」自分がいる。

イチローがバッターボックスに立った時に
「イチローなら打てる」と思って見ていても、心のどこかで
「イチローでも難しいかも知れない」と思っている感情が非常に近いと思います。



しかし「疑わない」は違います。

水を熱したら水蒸気になることを疑わないように、
水を冷やしたら氷になることを疑わないように、
坂道にボールを置いたら転がることを疑わないように、
「起こって当たり前」なことに疑う余地はありません。

故に「疑わない」に否定の意思はありません。
「起こって当たり前」だからこそ「疑わない」
「疑わない」からこそ「起こって当たり前」

この心持ち、100人いたら100人が出来ないことでしょうね。
1万人に1人できるかどうか。

こんな心理状態を自由自在にできる人がいたら人生楽しいでしょうね。
僕もまだまだ修業中。

というわけで今日のお願い。
「車検代10万ぐらいどっかからひねり出してきて」

結果はまた後日。