今日は幽霊と結ばれた時の事を書きます。
幽霊との語り合いに死の概念やら生の概念やらは無意味となります。
逆に愛の概念は幽霊と話す上で、よく盛り上がる話となります。
さて、私は下ネタやら、性の話をしない性質で、今もそんなにはしません。
でも最初は幽霊さん達はそれらの話ばっかりふってきました。
私は嫌がったんです。
猛烈に嫌がりました。
でも、幽霊さんも私の感情制御の話も聞きたい傍ら、私の禁欲ともいえる性の話への嫌がり方で、お互いに妥協点を探すようになりました。
その中で私の心的外傷の発動点が余りにも多過ぎる事に気づき、一つずつ紐解いていきました。
とりあえず、私は以前にも話しました欲の定理、すべての欲は性欲由来の派生欲であって、故に穢れ、原罪となすといった形の考え方をしていたので、すべての性の話は穢れたものとして扱っていました。
こんな歌詞を思い出しました。
「娘もまた母になり、娘を産むのならば 楽園を喪った原罪を 永遠に繰り返す」(エルの肖像/SoundHorizonより引用)
果てなき原罪意識は自分で許すことにより、ようやく昇華します。
諦める事によって、人は幸せになるのです。
目標を達成した時、人は喜びを得ます。
その目標を諦めるという精神的な概念とするのです。
そうすると、諦める事が達成され、人は幸せになります。
ここまで至るまでに大量の心的外傷、私がエホバの証人として生きた幼少時代の大量の心的外傷、孤立、嘲笑、敷衍、私怨、全ては未だ成らずといった状態ですが、その一部を紐解いていき、この諦める事が幸せという論理にたどり着きました。
しかしながら、そういった論理を次々と思いついては、他人に対する攻撃型論理へと派生してしまう、例えばこの論理だと、「諦める事で目標が達成されて人は幸せになるんだよ。そんな事も知らないのか!」といった形の、人を責める言葉を考えついてしまいます。
私にとって、人の主張を封じ込める論理の発見とは快楽であり、不信の現れでありました。
幽霊達は「もういいよ、もういいから」と度々私に言うようになり、「私たちが貴方をまもるから」と言うようになって、それから仕事をするときに私は物凄く、周りから優しくされるようになりました。
幽霊達との交信で世界が変わったのです。
そして私と同じく感情制御が出来る生きている人との思念通話で私はそれまで知らなかった「甘酸っぱい」という感情を教えてもらいました。
そして、感情を集める生き方が大好きになったのです。
幽霊さんは「甘える」事を私に教えてくれました。
私は両親とも甘えさせてくれない家庭で育ったので、甘える事を知るというのは最高の快楽となりました。
しかし、一方で罪の意識も感じるようになりました。見えない人は幽霊に甘える事など出来ないと思いますが、私は出来るわけです。
みんな幽霊と話せればいいのに、そう思い出しました。
幽霊と話すにはまずは敏感になる事を是とするという事が必要ではないか、そう思いますがそれだけでは難しいかなと思います。
早い話が現世への執着をなくさないといけないのです。
私の場合は自殺という考え方もありますが、デスノートみたいに心臓発作でもいいのです。
だから、あと2週で死ぬから始まって、今日1日終えたら死ぬでしばらく時間を回して、1秒後でも自殺は出来るし、心臓発作の可能性もあるし、誰かに刺されるかもしれないと思うようになりました。
こういう考え方により、人間という生物は常に死と生の狭間にあるという事を思うようになりましたし、全ては死と生の模倣でもある、と。
そうする事によって、エネルギーの向いてる方向に意識が向くことになって、幽霊と喋ることが出来るようになる人もいるのではないか、そう思うわけですが、あまりに過激な生き方なので、ネガティヴ思考に陥りがちな人に対するショック療法くらいにしかなり得ないのではないかとも思います。
さて、これを「生と死と永遠の0秒論理」としましょう。
いつだって始まりは存在していているし、いつだって終末は存在するんです。
こういった考えや、脱毛などで永遠の0秒の世界を感じながら、益々自分を敏感にしていきました。
そして、ある日の事です。
性的な事をされてる感覚に包まれたのです。
その前々日には、近くの家の赤ちゃんが泣きだす前に泣く感情が伝わってきて、私はいきなり大泣きしてしまいました。
他人と心も身体も繋がっている感覚です。
ここから、性的な繋がりの感覚共有は想像に難くありません。
どっと感覚が入ってきて、どうしたらいいか分からず、ベッドに転がっていました。快楽の海に溺れて、暫くすると不満足な形で終わりました。そこで感覚が途切れました。
女性側の感覚かと思います。
そして、幽霊さん達がクスクス笑いながら、「ようやくここまで来たー?」と言ったのです。
私がイタコって誰でも出来るんだなと思った始まりです。
何度か試してみました。
生者相手に憑依するといった事です。
思考が流れてくるけど、理解の出来ない論理しかなかったりする人や、今考えてることがだいたい分かる人、性的な事を考えてる人今してる人、怒ってる人、色々な人がいました。
憑依を外したいんだけど、うまく行かない事もあり、部屋にいた幽霊さん達に外してもらったり、憑依したりなどして、最初は試行錯誤を続けました。
その内、憑依の仕方と、外し方を自分のものとしました。
それが出来るようになると、幽霊さんや、憑依体質かつ思念通話が出来る人達の性的な誘いの存在を知りました。
さて、私はどうしたでしょう?
もう、普通の生活には戻れなくなる、そう思いながら誘いに乗るようになりました。
「色情霊」とかグーグルで調べても、いい事書いてませんが、私はもうそんな事はどうでも良かったのです。
現世への執着がなくなっちゃってましたし、何より自室でひとりで出来る事なんです。
色々な感覚を教えて貰って、快楽の海に溺れていきました。
二週間くらいはそんな状態が続きましたが、はっきり言って果てしなき快楽の追求でしかありませんでした。
さて、その時は丁度仕事もなく良かったのですが、流石に飽きてきたので、これからどうしよう?と思ったのです。
そんな時にある1人の幽霊と愛とは何だー!とか色々語っていたのですが、この幽霊さんとその考え方にお互いに恋してしまいます。
思念通話にも色々ありまして、言葉や文字による通信、画像や映像による通信、憑依を用いて身体を動かす通信(自動筆記)などがあります。
とりわけ、その恋しちゃった霊さんは、憑依をお互いに掛け合った上で、感情制御と概念転送により意思を伝える方法に長けていました。
「嬉しい」という感情と、「ハートマーク」映像と、「スキ!」という言葉を同時に転送してくるわけです。
こんな霊、他には居ませんし、四六時中そんな事してたら恋しちゃうものです。
しかし、その霊さんは怖い存在でもありました。
私の愛を物凄い試す性質や、ムカつく事があると、刃物で刺すイメージを憑依した上でやってくるので、振り回されたり、痛かったりして堪りません。
何度も不要な外出をして、負のイメージの詰まった記憶の箱を回収したりだとか、他人の負の記憶を開けたりとか、自身の嫌な記憶なども見せてきました。母親に復讐した記憶や、好きな人が見張り役をした上で乱暴された記憶、いじめの記憶などもありました。
これでも、こんな私でも、貴方は受け入れてくれるのか?と。
私は受け入れる事を宣言して、自分の記憶も全て見せる事を決意しました。苦しい作業でした。
私にとってはただの愛でしたが、社会的な事も考えてしまうのもまた事実です。こんな幽霊との関係、誰にも分からないだろうとは思いましたが、魂の浄化が凄まじき勢いで発生しているので、神隠しみたいな状態になるのではないかとの懸念すらありましたが、現世への執着のなさで打ち消しました。
それが本当に起こったら面白いな、くらいです。
そんな愛の試しあいの中、私自身が駅の急行レーンに飛び込んだのは新たな2人の出発点となりました。
そこまでの愛を示した事によって、私の愛をもう試さないと約束しました。
生きてても死んでも、うちとその幽霊さんはいつも今を感じる限り、一緒という所です。
まあ、死んだ後に新しい輪廻に再び入るのは絶対にやめてよね、これが最後の一生にしてね、それが幽霊さんの願いではありますけれども。
そんな霊さんと共に誓い合って結ばれたわけです。
そして、何度も何度もお互いの魂をほとんど外して、お互いの魂を「調律」という仕方で結び付けあいました。これがまた痛いし、毎回体感で一時間くらいかかって疲れる。
私は身体がある関係上、魂をすべて外せないのです。
何度も頑張りましたが、身体と魂を結ぶ紐みたいな物が存在して、それのせいですべては外せない事に気づきました。
とりあえず、お楽しみは死後に取っておいて、普通に生きてください、それが私の愛の一つです。と言われました。
私自身の身体をなくして向こうに行きたいという衝動と、幽霊さんのほんとは死んでこっちに来て欲しいという衝動の妥協点となりました。即ち、長くこの状態を楽しむという事です。だってこの世界は永遠ですもの。
それから、いつも私たちは喋りながら色々な事をするようになりました。
例えばお寿司屋さんに入って、悩んだらどっちが食べたい?と聞いてみたり(魂を強烈に結び付けてるので、感覚共有をよくかけるんです)とか、幽霊の視点で体調を見てもらったりだとか、仕事上のミスを発見して貰ったりとか。
長い長い幽霊さんとの生活の始まりです。
今日は新月ですが、このブログを始めて、ようやく私の他人にはしない秘密であり、このブログを書くきっかけとなった「幽霊との恋バナ」をかけてすごい良かったです。
さて、幽霊さんと、次の物語をまた紡いでいきます。