※この記事の内容は個人の感想です

自◯を読んだかたに推奨するものではありません


またまたお久しぶりです。


6月は体調が悪く昼夜逆転していて


さらにブログの更新に義務感を感じて書きたくなかったので


6月5日以降更新していませんでした。


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6月の間にこの先のことを真剣に考えていました。


いまのぼくには収入がありますが


年間の出費の方が上回っていてトータルでは赤字です。


これから先…


生きていくために


どうしたらもっとお金が入ってくるか考えました。


お金を稼ぐ手段はたくさんありますが


あまり多くのストレスをためずに嫌な気分にならずに


最低限のお金を稼ぐ手段を探しました。


結果的には現時点では見つかりませんでした。


そうしている中で


1つの疑問がわきました。


毎日、嫌な気分になってかなりのストレスをためてまで仕事をして長生きする意味が


自分にあるのか?


ということでした。


ぼくはある程度の貯金があり、いまの生活に幸福を感じます。


満足しています。


しかし、生活をするためにいま以上のお金を稼ぐために嫌々仕事をしてまで


いまの生活を続けたいとは思いません。


この先どうなりたいとかの将来像も夢もないです。


それなら年間では赤字のいまの幸福を感じる生活を続けて


いつかいまの生活ができなくなったときには


自分で幕引きをするのが


個人的には最も幸せな人生なんじゃないかという結論に至りました。


だから、いまを楽しんで生きることにします!


いつか、ストレスなくやりたい仕事に出会うかも知れませんし


出会わないかもしれません。


まあお金が尽きるのは


まだ何年も先のことになるので


今年や来年にはどうこうという話ではないですけどね。


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偽善者は


「生きたくても生きられない人がいるんだから生きなきゃだめだ!生きる義務がある!」


このようなことを言います。


でも、生きられない人とぼくの問題は全く別のことだと感じます。


生きられない人の


苦しみが


嫌々ストレスをためて生きるために働く人の


苦しみよりも


辛いというのは偽善者の想像です。


だから偽善者の言葉を聞く度に


「客観視したことあるのかな?

辛さは感情なんだから数値では表せないのにな…。

めんどくさいから放っておこう。」


そう思っています。



では!