朝がとても寒く、起きづらくなってきましたね。私のブログも、週1回のペースがすっかり定着して、皆様には申し分けないなぁと思いつつ‥‥‥甘えさせて頂いてます。
そこで、思い切って今後も週末1回の更新にしていこうと思います。そのかわり、コメントや他の方のブログを読むのは、今までどおりやっていきますので!
もともと、ブログは、書くより読む方が好きなのです。
前回は、霊層界の天国について簡単に書きましたが、今回は、それより下の中有界、地獄界についても少し書いていきたいと思います。それでは、いきます。
霊界に来たからといっても、誰も彼も毎日ブラブラと遊んでいるわけではありません。再び、現世に出生する準備をしなければならないことになっています。その準備とは、浄霊作用であり、罪の行為に対する浄化作用です。そして、ある程度浄化が行われると、生まれ変わります。浄化とは、つまり、執着をとることです。そして、霊界でも、霊に執着があると天国へは、上がれません。すべての罪の元は、執着です。我と執着をとると非常に楽になります。苦しみが減るからです。
「我がなくてはならず、我があってはならず、我があって、我を出さないのがよいのです。」
修業は、罪の浄化であり、苦しまなければとることは出来ません。そして、霊が浄化され、執着の除れるに従い霊層階の地位も向上していきます。
地獄界は、昔から言われるように種々雑多な苦悩の世界です。修羅道、餓鬼道、色欲道、畜生道……など。
死んだら、苦痛はなくなる、自分が犯した罪は消えると思うと大間違いです。苦痛は、生きている時よりも酷くなっています。それは、なぜかと言うと肉体がないぶん、霊は感じ方が強いから、それだけ痛み苦しみが強いのです。例えて言えば、神経がむき出し状態に似ています。神経だけのようなものだから、肉体のある時よりも何層倍も痛い。死のうと思っても死にようがないのです。地獄の様相は、また、詳しく書きたいと思います。地獄界にいる地獄の霊は、改心しても、その犯した罪分は、数十年、数百年かは苦しまなければ許されません。
例えば、戦争責任の罪。何千、何万、何十万の人を殺し、何百万人の不幸を作った殺人の罪、怨みの想念は、相当なもので、最低でも六百年、ヒットラーのようなものは、六千年地獄で苦しまなければ許されない。
そして、地獄の最上段は、軽苦であって、多くは地獄の刑罰が済んで中有界の一歩手前というべき所で、そこにいる霊は地獄界における労作のものをして、それぞれ、自分に相当した仕事を与えられ、それに努力しています。例えば、各家の神棚、仏壇の供物を運んだり、現幽の通信係、つまり、現界のほうに霊界の様子をお知らせする係をしたり、また、現世から持ち越しの悪い習慣や性質を是正する修業が行われるのです。根気のないものは、根気を養成させられ、見栄の強い人は、見栄を捨てるための努力をさせられます。
そして、こうした、修業を終えると中有界に上がることが出来るのです。
例えば、戦争責任の罪。何千、何万、何十万の人を殺し、何百万人の不幸を作った殺人の罪、怨みの想念は、相当なもので、最低でも六百年、ヒットラーのようなものは、六千年地獄で苦しまなければ許されない。
そして、地獄の最上段は、軽苦であって、多くは地獄の刑罰が済んで中有界の一歩手前というべき所で、そこにいる霊は地獄界における労作のものをして、それぞれ、自分に相当した仕事を与えられ、それに努力しています。例えば、各家の神棚、仏壇の供物を運んだり、現幽の通信係、つまり、現界のほうに霊界の様子をお知らせする係をしたり、また、現世から持ち越しの悪い習慣や性質を是正する修業が行われるのです。根気のないものは、根気を養成させられ、見栄の強い人は、見栄を捨てるための努力をさせられます。
そして、こうした、修業を終えると中有界に上がることが出来るのです。
