こんにちは。コロナ大変ですね。東京も今日だけで
180人だそうです。先が見えませんね。
 さて、まだ作品展開催中ですが、作品展にエッセイを
出しているのですが、ぜひ多くの人に読んで頂きたく
ここに投稿します。ちょっと長いですが、お暇がある時に
読んで見て下さい。

 

『生きることを諦めないで』
             芦刈 昌信

 そこのあなた、もしも突然、命の選択を迫られたならあなたはどういう生き方を選びますか?
 私は筋ジスという難病だ。現在は鼻マスクで呼吸器を24時間使用しているが日中は電動車いすに乗り外出をし日々の生活は充実している。そんな中で昨年9月に甲状腺髄様(ずいよう)ガンが見つかった。私は筋ジスでガンになるとは思っていなかったのでショックだった。完治には手術以外にないが筋ジスで呼吸器なのでリスクが高い。例として全身麻酔での筋力の低下、手術時に気管切開をする可能性がある。気管切開は気管に管を入れ呼吸をさせるというもの。これをすると声を出せず、食事も出来ない可能性もある。今の生活全てをなくすかも知れない。手術をしない選択肢もある。でも手術をし、たとえ今の生活を失っても私には生きたい理由があった。それは愛する人の存在だ。私には10年寄り添ってきた彼女がいる。毎日、西別府病院に通い私の介護を献身的に行い、二人で外出し、彼女との時間は大切なものだ。さらに支えてくれる家族、そして私がイベントや外に出かける時、体調が悪い時、駆けつけてくれる友人達。私を大切にし必要としてくれている人がいる。だから私はここでガンに負けていられない。私の命は多くの支えの中であるのだから。私は手術をしガンに打ち勝つ決意をした。
 そして私の手術を大分医科大学が引き受けてくれ診察を受けた。私の望みはただひとつ。気管切開をせずに今の生活に戻る事。執刀医である耳鼻科の平野先生が私の思いを受け止めて下さり、カンファレンスで気管切開をと声が上がる中、「本人の希望だから」と気管切開せずに手術をする方針で行くと言ってくれた。
この先生なら任せられると委ねることにした。
 でも私は弱い人間だ。すぐに逃げて挫けそうになる。一人の力では到底闘えない。私はフェイスブックやメールでガンだと公表することにした。友人達に心配をさせてしまうかもしれない、でも友人達から勇気をもらい手術に挑む力にかえたかったのだ。公表後、病院まで訪ねてくる人、メールで励ましの言葉をくれる人、手作りのお守りを作って祈ってくれる人、色々な形で私に力をくれた。どれほど救われたか分からない。
 そして昨年の12月に手術が決まり、2日前に転院した。不安の中、彼女が泊まり込みで付き添ってくれた。手術前日に幼なじみが入浴介助を手伝ってくれて不安を和らげてくれた。
 手術当日は朝8時から手術なので朝早くから家族が駆けつけてくれた。8時前に移動し手術室に入った。すぐに手術が始まった。まずは挿管をするのだが、私の喉はつぶれていて挿管だけで2時間かかった。合計7時間の大手術になったが手術は無事成功し、すぐにICUに入った。手術中も幼なじみや親友が駆けつけてくれた。ここから5日間挿管を入れていた。毎日彼女が来てくれ、友人達も面会に来てくれた。口から挿管していたのでしゃべることが出来ず、自作の文字盤を使って意思を伝えるが上手くいかない。しゃべれる事の幸せを身をもって感じた。そてし5日後、挿管を抜き鼻マスクに戻った。だが挿管の刺激で痰がかなり上がってきた。筋ジス患者は肺活量がないので自力で咳をし痰を出すことが出来ず、吸引をするしかない。何度か痰が絡み危ない時もあったが、こまめに吸引をし乗り越えた。そしてICU7日目、一般病棟に帰れることになった。ICUのスタッフが「お疲れさま」と声を掛け、廊下まで見送りに来たナースもいた。本当に助けて頂いた。一般病棟では再び彼女が泊まり込んでくれた。一般病棟に戻ってからも痰が絡んでいたが、耳鼻科の看護師長がカフアシストという痰を出す器械を導入してくれて痰は次第に収まっていった。喉の違和感があり食事は固形物がなかなか喉を通らなかった。そんな中でICUを出た翌日には車イスに乗ることが出来た。かなりのスパルタだったが・・・。そして1週間耳鼻科での入院生活の間にも多く友人が会いに来てくれた。本当に友人達のおかげでどれほど励まされたか分からない。私は幸せ者だ。
 そして手術から2週間後、退院する事になった。車イスに乗り退院することが出来た。この日を迎えるために多くの病院スタッフが携わり支えてくれた。そして何より平野先生との出会いがなければ今の自分はなかっただろう。本当に感謝の想いでいっぱいだ。そして車イスで西別府病院に凱旋すると病棟スタッフが笑顔で迎えてくれた。それからしばらくは夜も眠れず食事も取れなかったが、今は食事も食べられ、元の状態に戻って来た。こんなに早く回復出来た事に驚いている。これは私の力ではなく、彼女や家族、友人達の想いがそうさせたのだ。
 周りに気を使われたくないと一人きりで戦う人もいるかもしれないが、強がっても一人で抱えるのにはあまりにも荷が重すぎると思う。私は周りに応援してもらい、支えてもらい恐怖と闘う勇気を持てた。甘えすぎだと思うかも知れないが弱さをさらけ出し、思い切って頼る事が出来てよかったと思う。大切なのは生きることを諦めないこと。私は心から生きたいと思った。それに周りが答えてくれた。私は抗がん剤治療をせずに済んだ。本当の大変さを知らない。でもガン患者の不安で眠れない気持ち、絶望感は誰よりも分かる。私がガンになったのは必ず意味がある。神様が与えた使命がきっとある。私に何が出来るか分からないが、ガンで苦しむ患者や家族のために何か出来ないかと模索している。
今心から思う、生きることを諦めないで本当によかったと。もしあなたが病を宣告された時、けして生きる事を命を諦めないで。一人きりで悩まないで。周りに頼っても恥などではない。受けた恩は、今度はあなたがその人を支え返していけばいい。信じることを諦めなければきっと新しい光が見えるはずだから。「我が人生に悔いなし」そう最後に叫べる人生でありたい。

 またまた大分合同新聞に載りました(^O^)
今回は現在開催中の作品展の記事です。
担当の記者さんが転勤になりますので、
置き土産として記事を書いてくれました。
コロナの暗いニュースが多い中で少しでも
不安を抱える方を励ますことが
出来たら幸いです。そして作品展を見て頂いて
さらに元気になってもらえれば本望です。
こういう時だからこそ前を向いて前向きに
行きましょう(^O^)

おはようございます。久々の投稿です。
手術から今日で2ヶ月経ちました。先日、友人から
「投稿がないから体調悪いと思った、心配するやん」と
言われ、たしかにそうだなと思い、あわてて書いています。
 おかげさまでご飯も普通食に戻り、食べにくかった
米粒やラーメンなどの麺類、生野菜なども食べれるように
なり、3日には恵方巻も食べることが出来、体重も
3キロぐらい減っていましたが2キロ戻りました。
口から食べれるというのはありがたいことです。
ほとんど元の状態に戻って来ました。首の手術あとも
ほとんど分からなくなってきました。2ヶ月でここまで
戻ると思ってなかったので自分でも驚いています。
気力も戻って来てまた活動をはじめようと思っています。
ここまで回復できたのは応援して頂いた皆さんの
おかげです。僕一人では乗り越えることができなかったと
思います。また元気な姿を見せられるようにイベントなどを
考えています。まあとりあえずコロナが落ち着いて
からですね。僕はすっかり元気になってますので
ご安心下さい。
 そして今月の17日より西別府病院の玄関ロビーで
個展を開く予定です。もしよければ見に来て下さいね。
ではまた。

24日に再び大分医大に診察に行って来ました。
麻酔科、耳鼻科、神経内科をハシゴしました。
ほんとはまとめて診察出来ないんですが、
何回も来るのは大変だろうとまとめてくれました。
麻酔科では全身麻酔のリスクの話を聞いて、心臓の動きが
良くないので心不全を起こす可能性があること、
まあ筋ジスなので心臓の動きはよくはないので仕方ない。
あと肺炎などを起こす可能性もあるので、その時は気切に
なるだろうとのこと。筋弛緩剤を使うので筋力が
低下するとのこと。でも今の状態に戻れるように最善は
尽くしてくれるそうです。あと口があまり開かないから
鼻からの挿管になるみたいです。
 耳鼻科では手術の説明を受けて、甲状腺半葉切除と
周りのリンパも少し取るらしく手術時間が3時間ぐらいに
なるらしい。それがどれくらい身体に影響するか
分からないので、とにかく手術をしてみないと
分からないそうです。ったよ。手術日は混み合ってる
らしく今年中にはできないみたい。1月になるかなとの
こと。この待つ時間が嫌やなぁ。急激に進行することは
ないので転移の心配はないそうだけど、早く切りたいん
だけどこればかりはね。そして神経内科はもしもの時に
対応してもらうための診察でした。まあ不安要素が
いっぱいですが自分の体力を信じるしかありませんね。
 再び今の状態に戻れるように願うばかりです。