草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ -26ページ目

草莽崛起~阿蘇地☆曳人(あそち☆えいと)のブログ

自虐…それは資本の国家を愛すること。。。自虐史観を乗り越えて、「日本」のソ連化を阻止しよう!
The Rising Multitude

働く人それぞれが、自分が使う道具や材料がどこから来るのかを意識し、それを支える他の人たちと協力しながら仕事の分担を調整 

 

 上記の「意識」の部分についてです。もちろんこれは「意識すれば事足りる」という話ではありません。「意識する」のは「調整する」ためです。したがってこの場合の「意識」は調整の手段です。そして意識の対象は「自分が使う道具や材料がどこから来るのか」、つまりサプライチェーンやサプライネットワークです。

 したがって「意識」の内容は以下のものが含まれます。

 

 1.観測による事実の把握

 まず、道具や材料がどこから来ているのか、どのような経路をたどっているのかを把握すること。これは、サプライチェーン全体の可視化や追跡情報の取得を意味します。

 2.そこから推測される結果の予測

 その供給経路がどのような環境的・社会的影響を与えるか、またその影響が将来的にどう拡大・縮小するかを見通すこと。

 3.予測される結果についての自己の価値判断
 自分がその供給経路に参加する(消費する)ことに対し、倫理的・実用的な観点からどのように評価するか。たとえば、環境負荷が高いか、労働搾取が伴っていないかなど。

 4.予測される結果についての社会的反響の想定
 自分の行動が社会全体に与える影響、またその反応をどう想定し、対応するか。ここには、他者との情報共有や協力関係の構築も含まれます。

 

 「3」を除く3つは、独断で済ませるものではなく、ステークホルダーとのコミュニケーションが不可欠です。これだけでも実際に行うのは手間と時間を要することですが、手間と時間の節約が死活となるビジネスの世界では、節約のためのツールがいくつか開発されています。

 

  • サプライチェーン全体の可視化や追跡情報の取得:ブロックチェーンやERP
  • 結果の予測: LCA(ライフサイクルアセスメント)ソフトウェア やシナリオ分析ツール
  • 社会的反響の想定 : ソーシャルリスニングツール や 参加型シミュレーションゲーム 
こうしたものを活用することも無意味ではないでしょう。
 
(つづく)

 

 

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アソシエーション社会では、働く人それぞれが、自分が使う道具や材料がどこから来るのかを意識し、それを支える他の人たちと協力しながら仕事の分担を調整します。

 

 この部分を少し詳しく展開します。

 

 (1)「働く人」

 生産点で物資を作る労働者に限定されません。「働く」とは単に物財を生み出すことではなく、自分自身を再創造し、育て、発展させる活動、すなわち「自己産出」を含む広義の概念です。この視点では、教育、芸術、介護、コミュニティ活動などもすべて「働く」行為と見なされます。 

 

 (2)「それぞれが、…他の人たちと協力しながら仕事の分担を調整」

 各個人が、それぞれ自分の立場からステークホルダーとの協力関係を調整することです。これは、少し難しい言葉ですが、自律分散型とよばれる組織運営の手法と同じものを意味しています。この原理に則って運営される組織を自律分散型組織(Decentralized Autonomous Organization:DAO)といいます。

 DAOは通常、スマートコントラクトやブロックチェーンなどの特殊な技術を活用して組織・運営されています。

 

(つづく)

 

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資本主義では、社会全体の仕事の分担(分業)を一つの会社や人がコントロールすることはできません。これは、みんながバラバラに利益を求めて動いているからです。一方、アソシエーション社会では、働く人それぞれが、自分が使う道具や材料がどこから来るのかを意識し、それを支える他の人たちと協力しながら仕事の分担を調整します。こうすることで、社会全体の仕事の分担も順番に、自律しつつも相互的に調整することを目指します。

 

 

 

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  経済の金融化は、サービス経済化の一種だから物財消費をある程度緩和する。しかし、この同じ事象が経済の不安定性を増悪させる。環境負荷と経済安定との、このトレードオフ的な関係は利潤率の低下に起因する資本主義の危機の現れ方の一つである。

 しかも、サービス経済化全般がーー金融化の場合は特にそうだがーー物財生産がグローバルなサプライチェーンを外部した結果であり、環境負荷の軽減があるとしてもそれは環境負荷が単に他地域に転嫁されているだけである可能性も決して低くはない。 世界的なトータルとして見れば環境負荷が軽減されていないということもありうるのである。

 トランプ政権が掲げた「ラストベルト復権」政策は、製造業の復興を通じて国内雇用を回復しようとするものだが、環境規制に対する敵対的政策と一対のものだった。鉄鋼や石炭といったエネルギー依存の高い産業は、製造業復興の中核を成しており、再び国内環境を汚染するリスクを伴う。トランプ政権下での環境規制緩和(例:パリ協定からの離脱、化石燃料産業への補助)は、企業コストを削減する一方で、環境負荷を増大させた。

 それだけでなく、グローバルなサプライチェーンを構築し、生産工程間の分業の地理的な配置フレキシブルに調整することで、維持されている半導体産業など新進の工業部門の生産性の基盤を掘り崩す動きでもある。

 しかし、グローバル分業の推進は、国内産業を空洞化させ、貨幣の投機的運動に国内経済をゆだねることになる。

 この二律背反を現代資本主義は自ら生み出し、かつ乗り越えることができない。

 

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 ちょうど1年前,赤旗の正月特集であろう志位氏と民青同盟代表との対談記事にたいして次のような感想がポストされた。

『日曜版』お正月号の巻頭はかずおと民青の未来社会についての対談だけど、自由時間の短縮[ママ。多分「自由時間の拡大」か「労働時間の短縮」の間違い]による『必然性の国』から『真の自由の国』を論じるなど到底、科学的社会主義の政党とは思えないサイエンス・フィクション(S F)社会主義が全開だなぁ〜

 いかは,それにたいして僕が行った返信ポストです(複数回に分けてポストした文章を一本化し必要に応じて加筆修正)。

 ………

 日本共産党本体は、紛れもなく空想的社会主義に他なりませんが、マルクスの「自由の領域」論が空想とは聞き捨てなりません(和良和良。生産力向上とそれによる余暇時間の拡大の相乗効果は、現実問題としても重要です。80年代――日帝にも余力のあった時代には、ブルジョア企業ですら取組んでましたよ。  

 問題は物質的窮迫性の克服を如何にして実現するかです。この点の曖昧さが空想性に繋がるのです。労働生産力向上が必要条件であることは、恐らく共通了解でしょう。又、諸力を向上させる手段や方法も、ここでの直接的な論点でないこともご理解頂けると思います。

 労働生産力の向上それ自体は、剰余価値取得と自己増殖の手段として資本自身が常に貪欲に追求しているからです。しかし、そうであるからこそ、この向上の成果は、自由時間の拡大ではなく、剰余労働時間の拡大となって現れます。これを如何にして自由時間に転化させるかが曖昧であれば、この議論が空想的なものになってしまうのではないでしょうか。マルクス自身は、この点についてこの箇所では直接詳細を語っていません。しかし、末尾で「労働日の短縮こそは根本条件である」と指摘しています。僕らは、この一句を見て直ちに『資本論』第1部第八章の後半の三つの節を想起すべきなのです。労働時間短縮のための闘争が、まず直接的にそれ自体が剰余労働時間を自由時間に転化させることそのもの(①)であり、同時に資本に生産力の更なる向上を促迫(②)し、加えて、向上した生産諸力の制御が資本の体制下では不可能であることを実証(③)することによって、自然とのあいだの質料変換を合理的に規制する必要性を社会的に開示します。この3点において、現下の労働者階級の闘争が真の自由な領域の実現と結びついているのです。このつながりを切断してマルクスの「自由の領域」論を遠い未来の話としてのみ扱うなら、空想的だといわれても仕方がないでしょう。

  最後に、もう一点。労働者の闘争が「同時に資本に生産力の更なる向上を促迫」するといっても、資本主義の下では、どのような労働生産力を各々どこまで向上させるかという社会的分業の総体編成の在り方までは、労働者は勿論、資本家階級も制御できません。 個別資本が各々勝手に自己増殖に有利と判断した生産力を発展させるからです。エッセンシャル・ワークやその担い手を支える技術や産業、環境の保全や修復に役立つ技術や産業よりも、ブルシットジョブや環境破壊的な技術や産業が発達しがちなのは、そのためです。この状況からの脱却(=質料変換の合理的制の追求)も、権力獲得後に初めて着手できる課題と捉えるのは誤りです。資本の支配のもとでも資本の運動を部分的漸進的に規制することは可能であり、この規制力の発達がほかならぬ権力獲得の条件の一つだからです。資本に対する規制力を行政権力のみに限定する狭い見方から脱却する必要があります。率直に言って日本共産党においては、そうした狭い見方が優勢であると見受けられます。行政権力よりは、労働運動や産業協同組合運動の規制力の方が、資本に対する規制と社会化された人間、結合された生産者たちによる質料変換の合理的規制の実現とを結びつける環としてはるかに重要です。これを言うと、反発する人が多いかもしれませんが、ミキサー車ドライバーの組合が生コン業界を協同組合に組織化したかの運動は、この点から見て、画期的なものだったのです。それを世間の偏見に屈服して票が逃げそうだからと切り捨ててしまったことは大きな過ちだったと思います。

 

 
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