ボンジョールノ音譜

 

 

 

6月2日、イタリアは祝日でした。

私たち家族は、1月に亡くなった親友マウリッツィオの散骨のため

アッシジの裏手にあるスバシオ山に出掛けました。

 

 

遺言通り彼が生きた土地を見渡せる場所からの散骨でした。

そしてみんなで、この十字架まで歩きました。

(散骨の場所は指定された場所からです)

 

 

 

この日、彼を想う友人がたくさん集まりました。

愛に包まれた穏やかな1日でした、

 

 

 

 

マウリッツィオとは、私がイタリアに来て1年目の95年の終わりに知り合い、

私がイタリアに定住するためのたくさんのことを与えてくれた人であります。

仕事場、たくさんの仲間、夫、住まい。。

 

11年前にパートナーを見つけてからは、私たち家族とたくさん旅行もしました。

昔からいつもそばにいてくれた人。

言いたいことを言える相手。

同じ空間にいて、話をしなくても気まずくならない相手。

血が繋がっていない家族のような人でした。

 

 

 

 

アーティストで哲学者でありました。

物静かで人の話をたくさん聞ける人。

そして少ない言葉の中には、愛と真実があり

どれだけの人を助けていたことか。

 

 

自由人であり、偏見というのが全くない人。

だから人々は、彼の前では心を開ける事ができたんです。

これも多くの人から愛されていた理由かもしれません。

 

 

亡くなる2週間前は、私と夫は交代で毎日彼のそばにいました。

 

 

「自由人で私レベルで偏見がない人は、あんたぐらいだわ」

 

「いや、俺の方がお前より上をいってる」

って。

 

私がわざと刺激すること言ったら、ちゃんとそれに反応してくれた。

もう言葉もか細かったけど。

 

 

 

 

 

「これから私、どうしたら良いのよ?!」

 

「今まで通り過ごせば良い」

 

「誰と付き合えば良いのよ」

 

「他の人たちと付き合えば良い」

 

「あんたは他の人と同じか?!」

 

「。。。。。。。」

 

 

 

 

 

そう、唯一無二の人物であったから

こんな人、他に見つけれるわけがない。

 

 

 

 

喧嘩もいっぱいしたけどね。

「あんた達は喧嘩ばかりしてるのに、いつも一緒にいる」って

よく言われた。

 

 

 

亡くなった日、次の日に気が付いたけど

サロンに置いてある時計が、亡くなった時間に止まっていた。

時計は止まったままにしておいた。

なぜかまた何もしなくても動くのではないか?!

と思っていたら、亡くなってから2週間すぎた頃、

電池を変えてもいないのに、やっぱり動き出した。

 

 

亡くなってからしばらくは、彼のパートナーも言っていたけど、

彼の存在を感じれると。

そう、亡くなってから2ヶ月ぐらいの間は、何か私も感じていた。

すごく暖かく包まれているような。

 

 

亡くなって数日後に、彼を想いながら夕方テラスから夕焼けを見ていたら、

いつも正面に見えるマジョーネの塔の周りにあった雲が、

塔の真上に、夕焼けに色ずくハート形の雲に数秒間だけなった事があった。

すぐさま夫を呼び、わずかでしたが一緒に見る事ができた。

彼が遠い彼方から私たちの事を想ってくれている事を

伝えてくれたのだと感じれた。

 

 

 

 

最後の数ヶ月はがんの転移がひどく

キャンパスに描くのが難しかったよう。

 

でも家の庭で見つけたたくさんのカタツムリの殻に

描いてた。

彼のパートナーが、2ヶ月ほど前に

そっと私にくれた可愛いカタツムリの殻(上の写真の二つ)

 

 

 

いつも心の中に。

あなたの声は心の中に聞こえる。

でも、またいつかどこかで会いたい。

 

 

 

 

皆様にとって素敵な1日でありますように愛