ボンジョールノ音譜

 

 



イタリアは古代ローマ帝国が始まりではなく、その前も先住人がいたんですよ。

 

えっ?!知ってるって〜。

 

まあまあ、そう仰らず、

イタリアの歴史というと、古代ローマ帝国やルネッサンス期ばかりが取り上げられるでしょ〜。

だから今回は古代ローマ帝国前、紀元前8世紀から1世紀までイタリアに文化をもたらした

エトルリア人のことを書いてみたいと思います。

 

Volumini家のお墓

 

私が住むイタリア中部のウンブリア州一帯は、エトルリア人が多くの町を築くのですが、

エトルリア文明はまだ全て解明されていないこともありますが、おそらくアドリア海の東、

北トルコあたりから来た民族ではないか?!と言われています。

ウンブリア州には元々ウンブリア人がいたので、エトルリア人は外国人ということです。

 

ウンブリア州はちょうど真ん中にテベレ川があり、

ウンブリアを2分しているのですが、ペルージャ側はエトルリア人らに築かれ、アッシジやスポレートは

ウンブリア人らによって町が形成されたそうです。

 

 

エトルリア人は高度な建築技術を持ち、そしてすごく知的でもあったんだとか。

下の地図がエトルリア人がいた辺りを示しています。

 

 

エトルリア人によって作られたものは、現代にもいくつか建築物として残っています。

ペルージャで一番有名なのは、やはりこのエトルリア門(紀元前3世紀)。

 

 

左手上の部分は16世紀あたりに付け加えられたものですが、

アーチの門、紀元前3世紀にすでにこれを作れる技術を持っていたんですね〜。

このアーチを支えているのが、アーチの一番上の石なんですって。(下図参照)

 

 

宗教、葬儀を重要視し、それらを盛大に行い先祖へのお供え、先祖を祭ること。

その辺りはエジプト人たちもしていたし、神道とも共通性が見られます。

 

 

イタリアは建物や鉄道・道を作るのに穴を掘ると、必ず何かが出て来ますが、

ペルージャ近郊にあるVoluminiという墓群は1840年に発見。

このお墓、今は博物館になっていますが、鉄道と高速道路のすぐ脇にあります。

(写真は博物館の入り口)

 

 

この墓群でVolumini家が一番重要なお墓。

この洞窟のようなところが、その入り口。

周りに置かれてるのは、他のお墓から掘り出された遺灰が入った

石棺。当時は火葬されていました。

 

 

さらに降りると、入り口がありますが、右にもたれてる石の壁で、

塞がれていたのがわかります。

 

中は神殿のようになっていて、神秘的な空気に包まれています。

 

 

下の図、このお墓を上から見た図で、10の部屋からなっています。

神殿のようにできていて、屋根の部分は木で作られていたそうです。

 

 

Volumini家のお墓を近くで見ると。

下に2体の天使がありますが、その間をよく見るとうっすらアーチの扉のようなものが

描かれています。

それは、死後の世界に行く扉を意味します。

 

どれも素晴らしい彫刻が施されています。

書かれてある字はエトルリア語ですが、右から左に読むそうです。

日本語とは反対ですね。

 

 

それぞれの石棺に、Voluminiの家長、祖父、妻、息子、娘と、入ってるようです。

 

 

右手と左手にあった小部屋の天井部。

精密な装飾が施されたものが多く、直線や分割、刻印、幾何学的模様によって

芸術的効果が加えられています。

 

 

 

 

 

また元の場所に戻ります。

 

入り口周囲に置かれているのは、お墓から取り出された石棺が、まとめて置いてあります。

お墓の状態はどれもあまり良くないので、ここで保管する方が確かに安全。

ここにある石棺に施されている字は、エトルリア語そしてラテン語もあるようで、

装飾はギリシャとペルシアとの戦いやメデューサ、馬などが施されています。

 

 

 

石棺の隅に色のついた丸い印は、それぞれの家族を色別に示してあるようです。

(下は標識、家の名前が記されてあります)

例えば、ピンクは全てAzu家です。

 

 

さて、外に出るとたくさんの墓跡が見られます。

中は全て掘り出され博物館に移動され、何もありません。

入り口に鉄の柱が見えますが、崩れないようにするためのもの。

多くのお墓にありました。

 

 

 

このVolumini墓跡だけで、このようなは墓は200も見つかったそうです。

 

隣接された小さな博物館に入ると、

当時エトルリア人がどのような生活をしていたか伺える模型が展示されてあります。

フレスコ画は実物ではありませんが、別のところで見つかったフレスコ画を元に、

壁紙のようにして施されてありました。

家具はフレスコ画を見て再現されたものです。

 

 

エトルリア人は、ギリシャと貿易をしていて、青銅器などを輸入しています。

 

 

掘り起こされた陶器。そしてお墓の中にはこのような穀物も一緒に埋葬されていたそうです。。

 

 

長い間エトルリア語は解明されていませんでしたが、

長い研究で以下のことは分かって来たようです。

 

 

 

これらもお墓に一緒に埋葬されていたもの。

 

 

 

 

エトルリア人の特徴の一つ。

夫婦と思われる男女の横たわる石像がたくさん残っていて、

当時としては男女平等の考えをもつ稀な民族だったと、

言われています。

 

 

 

残念ながら、頭部がありませんが、美しい女神だったでしょう。

 

他にも色が残っている石棺が展示されていました。

 

 

 

 

夫婦の遺灰が一緒に入っている石棺。

遺灰は、どの石棺もウールのハンカチのようなものに包まれて入れられているようです。

 

 

 

エトルリア人は、その後どうなったか?

紀元前1世紀に古代ローマ人が勢力をつけて来たことで、吸収(合併)されたということです。

先に書きましたが、当時としては高い建築技術を持っていたことから、

その技術は都市国家ローマの建設にも活かされたということです。

王政ローマの7人の王の最後の3人はエトルリア系なんですって。

 

 

私は奈良出身ですが、私がこのウンブリア州に住んで居心地が良いのは、

奈良もウンブリアも歴史が古い。そして日本もイタリアも海に囲まれていながら、

奈良とウンブリアは内陸に位置し、緑が多いところが似てるからかな?

 

 

日本は、お休み気分が抜けて日常通りになったでしょうか?

ペースを元に戻すのもパワーがいりますよね。ニコニコ

 

それでは、みなさんにとって良い1日になりますようにドキドキ

チャオ日本イタリア

 

 

 

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