今回は、博多に所有する収益物件を売却するための出張です。 遠方にある物件は、そろそろ終活の一環として整理しておかねばならないからです。

 

……とはいえ、まだ不動産屋としての本性が残っているので、以前から気になっていた別府まで足を延ばしました。


博多から特急で約2時間。電車を待つ間にホームの立食いで名物の「ごぼ天うどん」を一杯。

 

 

こういう時間も、楽しみのひとつです。

 

別府を訪れるのは、おそらく50年ぶり。学生時代、宮崎県の高千穂ユースホステルでヘルパーをした帰りに立ち寄って以来です。

 

今回は、市内の路線バスを使って定番の地獄めぐりへ。気がつけば、ほぼ一日を費やしていました。

 

 

夜は「とり天発祥の店」と書かれた居酒屋に入り、名物の大分麦焼酎とともに味わいました。

 

 

宿は、いつものようにAirbnbで手配。

 


 

清潔で居心地のよいゲストハウスで、久しぶりに「自分の時間」をゆったりと過ごすことができました。

 

共用スペースのソファにはワンコが居座り、

 

 

この日は外国人のグループが集まっていて、自然と会話が生まれるような、どこか懐かしい雰囲気です。

 

流暢な英語で一生懸命説明する受付の女性の姿も印象的で、学生時代に戻ったような気分になりました。

この年になっても、ユースホステルのような空気感をどこかで求めている自分がいます。

 

宿の案内によると、別府の温泉湧出量は日本一。この街では温泉が特別なものではなく、住民にとっては、銭湯と同じくらい身近なものなのだそう。

 

その共同温泉に、夜は竹瓦温泉

 

 

朝は春日温泉

 

 

と、昔ながらの渋〜い湯に身を浸しました。

 

もう一つ印象に残ったのが、立命館アジア太平洋大(APU)もし自分が高校生だったら、こういった大学を志望していたかもしれません。

 

学生の約半数が留学生で、授業の98%が日英2言語で行われる環境。卒業生は世界中に飛び立っていっても、別府が気に入り、地元に残る外国人学生もいるそう。

 

このように地域資源が日常に溶け込んでいる街は、観光地としてだけでなく「住む場所」としての魅力も感じさせます。

 

人口構成や賃貸需要という観点から見ても、非常に興味深い地域です。グローバルとローカルが交差するこの街は、地方の新しいかたちを体現しているのかも。

 

翌朝は、宿の近くのカフェへ

 

 

ハーフと思われる若い女性が一人で切り盛りしており、地元の食材を使った野菜とベーグルのモーニングをいただきました。

 

 

一所懸命に店を切盛りする姿に、こちらまで元気をもらいました。
 

 

不動産屋の視点で見ても、利回りだけでは測れない街の価値はこんな所にある…そんなことを考えさせられ、気がつけば、この街がすっかり好きになっていました。


もう少し若ければ、この別府で物件を探していたはずです。

 

これから先も、この大分には何度か訪れることになりそうな気がしています。

 

そう、由布岳のミヤマキリシマの群生も見ていませんし、祖母山や九重連山も登っていませんからね。

 

今日は何位かな?

 

 

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昨日は学生時代のサークルの新年会。ついつい盛り上がって、久しぶりの午前様でした。

 

少し寝不足のまま母屋の縁側でうたた寝をしていたら、ふいに母の声が聞こえたような気がして、目が覚めました。

先月の初め、102歳で静かに旅立った母は、今、居間の骨壺の中で眠っています。

 

冬になると、いつも縁側に座って新聞を広げていた母。その小さくなった後ろ姿は、今もはっきりと目に浮かびます。

 

 

そういえば、もともと遠出なんてほとんどしなかった母と、最後に外出したのはいつだったかな……。思い返せば、たぶん20年ほど前。私が独立して6、7年が経った頃のことです。

 

当時は会社の資金繰りが本当に厳しくて。無理を承知で、母がコツコツ貯めていた小規模企業共済のお金を貸してほしいとお願いしたんです。手続きのために、池袋の商工中金まで一緒に来てもらいました。

 

無事に手続きを終えた帰り道。雑司が谷の鬼子母神あたりをぶらぶら歩いて、二人で天丼を食べて帰りました。

 

なんてことのない、地味な思い出です。でも、あれが母との最後の「お出かけ」だったんだと思うと、あの日の一分一秒が、今では何物にも代えがたい宝物のように感じられます。

 

あの時、母と何を話して、どんな味の天丼を食べたのか。当時は気にも留めなかった些細な記憶が、今は一つひとつ、温かく胸に蘇ってきます。

 

きっと人は、こんなささやかな思い出を杖にして、一歩ずつ親を見送っていくものなのでしょう。

 

70歳を過ぎた今、母が歩んだ102年という長い年月に思いを馳せると、自分自身のこれからのことも考えずにはいられません。

 

いつの間にか私は「見送る側」としての役割を終え、同時に、すでに「見送られる側」になるための道を歩き始めているのだな……と感じています。

 

 

さて、自分自身の「その時」への備えとして、そして何より母への感謝を忘れないために・・・

 

告別式で喪主として捧げた言葉を、ここに書き残しておこうと思います。

 

< 本日は、母の葬儀・告別式にお集まりいただき、誠にありがとうございます。
身内だけの席ですので、少しくだけた形でお話しさせていただきます。

 

母は大正12年、毛呂山町で10人兄弟の6女として生まれました。生まれたのは関東大震災から3か月後、日本中が騒然としていた頃です。その後も世界大恐慌、そして戦争へと向かう、まさに「きな臭い時代」に青春時代を過ごしました。太平洋戦争が終わったのは、母が20歳前後の頃です。

 

終戦前後の食糧不足で世の中が混乱していた時期、母は肝臓を原因とする大病を患いました。親や兄弟がリヤカーに乗せて医者へ運ぼうとしたところ、真っ赤な血尿が大量に出てぐったりし、皆が「もうだめかもしれない」と覚悟したそうです。それでも母は、不思議なほどの生命力で回復し、その後、貧しい農家だった父のもとへ嫁いできました。

 

嫁いでからも苦労の連続でした。身長130センチ、体重30キロほどの、今なら小学生のような体格で、父の兄弟も含めた10人家族の世話に明け暮れ、子どもを背負っての働きづめの毎日でした。

 

当時は家電もなく、煮炊きやお風呂はすべて薪。水道もありません。
夜、家族全員が入り終えた後の濁ったお風呂に一人で浸かり、湯船から空を見上げると「月が二重に見えた」と話していたことがあります。それほどまでに過酷な日々だったのだと思います。

 

今日のような寒い冬の日も、暗くなるまで裏の井戸で野菜を洗い、翌朝の市場に出す準備に追われ、休む暇はありませんでした。今でも忘れられないのは、母が弟にセーターを着せようとしたとき、母の手のあかぎれに毛糸が引っかかり、なかなか着せられなかった光景です。

 

そんな苦労人でしたが、明るい一面もありました。クイズ番組が大好きで、「アップダウンクイズ」を家族で見ていると、母が次々と正解を言い当てるので、「番組に出ればいいのに」と、みんなで笑ったものです。

 

90歳を過ぎても畑仕事を続け、前年にどこに何を植えたかをすべて把握し、連作障害にならないよう毎年工夫していました。97歳になっても「来年はここにジャガイモを植えよう」と話し、常に先を見据えていました。本当に頭のしっかりした人で、私にとっては最後まで「人生の先生」のような存在でした。

 

亡くなる前日、兄弟で施設へ面会に行った際も、こちらが心配になるほど一生懸命に話してくれました。声がかすれて聞き取ることはできませんでしたが……

 

今思うと、母はきっと「もう十分だよ。畑のことも家のことも、心配いらないよ」と伝えてくれていたのだと思います。

 

これからは、母に教わった数々のことを胸に、私たちらしく歩んでいこうと思います。
親族のみの葬儀ということもあり、少し長くなりましたが、以上をもちまして挨拶とさせていただきます。

本日はありがとうございました。>

 

母について書いたブログの一部です。

ブログ1

ブログ2

ブログ3

 

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山陰地方の松江・出雲の旅から帰ってきました。

 

NHKの朝ドラ「ばけばけ」の影響も多少あるのですが・・・

どうも私は、旅に出ないでいるとストレスが溜まってしまう体質のようです。

 

 <1週間ほど前に作った干し柿が良い塩梅になってます。>

 

こんな小春日和に、のんびり散歩したり喫茶店でボーとしている時には、頭の中でこの歌が巡ります。

 

し〜らない街を歩いてみた〜い🎵

ど〜こか遠くへ行きた〜い 🎵

 

学生時代は旅行サークルに所属し、全国を貧乏旅行して回りました。その習慣は古希を過ぎた今も抜けそうにありません。

 

そう遠くない未来に介護が必要になる日が来るだろうという事を考えると、元気に足が動くうちに旅をしないと・・・近ごろはそんな思いが強くなっています。

 

実は、来年5月にそのサークル仲間と大山登山に行くことが決まっており、今回はその下見も兼ねているんです。

 

今回の旅では、松江城、小泉八雲記念館、出雲大社、玉造温泉などを巡りました。

 

 

 

宿泊先は、いつものようにAirbnb経由でゲストハウスを選びました。昨今のホテル料金高騰もあっての選択ですが、

 

 

この日はフランス人男性と日本人女性の二人だけだったので、静かにゆったりと過ごすことができました。

 

行きの飛行機の中ではこんな本を読みました。

 

 

八雲の妻・セツが著した『思い出の記』では、八雲が亡くなる日の朝の回想シーンがあります。

 

 

セツが書斎を訪れると、八雲はすでに目覚め、煙草をふかしながら物思いにふけっていました。

 

「昨夜、たいそう珍しい夢を見ました。西洋でも日本でもない、とても遠い場所へ旅をしました。」

 

「今こうして煙草を吸っているこの世こそが夢で、旅をしていたのが本当のことなのかもしれない。」

 

そう独りごちて、面白がっていたのだとか。

 

 

まるで、これから旅立つことを予感していたような最期のエピソードです。

 

私は、

こんなふうに気軽に逝くことができたら、それはそれで悪くないなと考えます。

 

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