急に思い立って仙台に行ってきました。

ここ何日か続けて、昨年亡くなった友人の夢を見たからです。
彼とは、毎年の年賀状のやり取りは続いていたものの、直接話をしたのは東日本大震災の直後、安否確認のために電話をした時が最後です。
彼が、「目の前まで波が来て大変だったけど、大丈夫だったよ!」と話したのを思い出しました。
彼とは大学は違えど、新卒社員として同じ会社に入った同僚でした。この頃を思い出すたび、スガシカオの「Progress」が頭の中をグルグル巡ります。
気が合って、毎晩のように飲みに行きました。とくに井の頭線の池ノ上にある彼のアパートに泊まり込んでは、近所のスナックを何軒もハシゴしたものです。
また、取引先の大手化学会社が中心となった納入業者のリーグ戦に、会社の野球チームを作って参加しました。毎週末、河川敷の野球場へ一緒に通いました。
私は下手ながらサードで、彼はピッチャーで主力打者でした。ダブルヘッダーでも一人で投げ抜き、特にライバル会社との試合では異常なほどの闘志を見せていました。
仕事が終われば飲みに行き、その後は当時流行っていたポーカーゲームの店へ一目散です。千円札がスルスルとゲーム機に吸い込まれていきました。
当然、金が続くはずもなく、クレジットカードのキャッシング枠はいつも限度額近くまで使い、月末になると残高不足を常に心配していました。「カード会社から督促の電話が来るのが怖い」彼がそう言っていたことも、今となっては懐かしい思い出です。
そんな彼も、10年余りその会社に勤めた後、故郷の仙台へ帰りました。その後、私が東北へ出張するたびに会いましたが、いつしか年賀状だけの付き合いになっていました。
今回、ご家族の固定電話に伝言を入れたのですが、返答もなく、在宅かどうかも分からないまま自宅を訪れました。留守でも、家の前で手を合わせて帰るつもりでした。
幸い、奥様が病院から帰ったばかりというタイミングで、線香を手向けることができました。彼が引き合わせてくれたのだと思います。
遺影の写真には、還暦の祝いに娘からプレゼントされたという赤いポロシャツを着た彼が笑っていました。
昔の仲間に線香を手向ける。それも私にとっては、終活の一つなのです。今回、仙台まで行ってみて、あらためて思いました。
今日は観光もせず、TULLY'Sの宮城県店舗限定「ずんだシェイク」を飲んでゆっくりと・・・

私は、ずいぶん恵まれたサラリーマン生活を送っていたのだと思います。今では考えられませんが、入社数年の社員にも接待費の割り当てがあったという「バブリーな時代」でした。
でも、あの頃の、今よりずっと「ゆるゆる」とした時代だったからこそ、仕事だけではない人間関係や仲間との時間を楽しめたのかもしれません。
しかし、気がつけば、サラリーマン生活よりも、独立してからの人生のほうが長くなってしまいました。
それでも、若い頃に一緒に笑い、飲み、汗を流した仲間たちは、今も私の中に残っています。そして時々、夢の中に現れます。
仙台まで線香をあげに行ったのは、亡くなった友人のためだけではなかったのかもしれません。。。
あの頃の自分に、もう一度会いに行ったのだと思います。
今日は何位かな?

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