いつやろうか
ぐずついた天気、という日本語の表現、好きです。この間母とおでかけしたときに食べたクレープ。おいしかった。クレープを家で作ろうという話になった。あと、私がずっとタコスパーティーをしたいと思ってて(YouTubeぺっちゃらくっちゃらの木で1回やってからハマってまたずっとやりたいと思ってる)、その話もした。帰り道にスーパーに寄ったとき、実際に材料を探して、タコスシーズニングを手に入れた。サルサソースは大きな瓶のしかなくて、これじゃぁ大きすぎるから、最終的には家で作ろうということになった。クレープは家にあるものでできそう。姪っ子もいるときにやったら楽しそう。などなど。話した。何が言いたいかというと、これ家でやろうってなってすぐに母がその材料を探すモードになったわけだけど、そのことに新鮮さを感じた、ってこと。◯◯やりたいね、◯◯行こうね、って口約束しても具体的に話が進まないことも、多々ある。みんな忙しいから、なかなか実際やるとなると難しいもので。私含めて。やりたい気持ちも会いたい気持ちも、嘘ではない。けど、いったんどこかに置いておく、みたいなことが常で。だから話しながら、実現しないな、と頭のどこかで思っている。期待すると叶わなかったとき悲しいし、最初から、もうそれはそういうもんだと、思っている節がある。だから、じゃぁこれ買おう、探そう、ってスーパーですぐ“実際の行動”をした母が新鮮でそういえばそうだよね、こういうことだよね、と。一緒にこれやりたい、ってなった気持ちを母はどこかに放置せずにちゃんと持っててくれた感じがして、私はとても嬉しかった。私もそうできる人になりたい。ってことがありましたとさ。さぁ、今日はどれくらい雨が降るかしら。お手柔らかに。お天道さま。行ってきます